カテゴリ:歴史・本など・・
先日、足利尊氏の肖像画が見つかったということで、尊氏像については、いろいろ論争があって、その中でも有名なのは、神護寺三像別人説・・・というか、これらの新説があったからこそ、教科書編集者は「悩ましい」のかも。
ということで、源頼朝像として、長らく有名になりすぎた神護寺の肖像画が、実は足利直義だった・・という、神護寺三像問題・・これは、次の機会に。 今回、では、神護寺の「伝頼朝像」が、別人だったとして、では、ホンモノの頼朝の顔はどんなのだったのか? また、ホンモノの頼朝に近い、肖像は存在するのか? そういう視点で、書かれた本がこれですね。 「源頼朝の真像」(黒田日出男・角川選書) 詳細でこまかい論証をすっとばすと、一番本人に近いのは、肖像彫刻で、甲斐善光寺に伝わる、「源頼朝座像」である・・というのが、この本の結論です。 勿論、最初は、信濃の善光寺に、鎌倉三代の源氏将軍の菩提を弔う目的で奉納された像で、頼朝、頼家、実朝の親子3人セットだった。しかし、善光寺というお寺が、時代の波の中で、翻弄され、何度か火災にもあい、信濃から甲斐に移動させられ、時の権力者たちに翻弄された結果、寺宝であったこの像も、痛みが激しく、胴体部分は後補であり、当初のものは首だけであろう、というのですが、これが、なんとも個性的な顔をしています。 甲斐善光寺蔵頼朝像と、それによる、岡田靖の復元イラスト そして、もし、これが頼朝の顔だったとしたら、もう一人の平重盛(足利尊氏かといわれるタレ目のほう)は、本当はどんな顔だったのか? 平重盛像としては、天子摂関御影という絵巻が、残っていますが、これは14世紀の成立で、長い間にわたっているものであるし、中には個性的な顔の人物もいるけれど、この平重盛さんに限っていえば、類型的なマルポチャ顔で、いわば、当時の「美男」風なのかも。ホンモノに近い顔ではないように思う。 同じ絵巻に藤原頼長(かの悪左府どのです)がいますが、コピーみたいに似ているんですよね。彼も、類型的な「美男扱い」?だったのか? ↑藤原頼長像は、コピーのように似ていて没個性的。 個性的? ということで、悪戯心で、私も「復元」?してみました。 足利尊氏は、タレ目垂れ眉・・・。 源頼朝の真像/黒田日出男 こちらもよろしく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.09.07 21:04:52
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