人生における縁
>偶然を 装って来る 必然が偶然のようで必然の出会い。。結婚の縁。。子供との縁。。友人との縁。。師、上司、同僚、部下との縁。タイミングよく出会うものです。不運や波長の合わない相手との出会いも自分の修行に見合ったものが必然で訪れるようです。不運はチャンスの前兆。。乗り越えた先に、大いなる飛躍が待っています。<今日のFacebook 市川善彦さんの投稿です。・・・出逢いというのは本当で、私も妻との出逢い、その他数々、これを確信するところがあります。私の会社は、これまで表立って社員募集をしたことがありません。現在の社員も、ある日突然、向こうから「雇って欲しい」と言って来ました。その時期がまた我社の転換期でもあり、タイミングよく現れたのです。私の為に妻は随分と苦労しながらも、私をサポートするという崇高な役目を担っています。私は助けられながら、しかし、妻とすれば割に合わない人生かもしれません。しかしこれもまた選びし縁。社員もまた、私をサポートするためにやって来ました。本人が気づくと気づかないに拘らず。そして、私はかってその昔、どうやらこの社員たちに世話になったようです。言い換えれば、私もまた、その恩返しを立場替えて今、社員にしているのかもしれません。私はこれまでの人生において、それはそれは一言で言えない紆余曲折を経験してきました。しかしながら、それら負の部分を含めて、人も事象も全ては私の為に人生上に敷かれた、意味ある有り難き応援歌だと思っています。「縁」は間違いなく人に相応しく回ります。何故か親しく思う人は、かってやはり何処かで隣人であったこともあるでしょう。時代を超え、幾度も夫婦を繰り返しているケースもあるようです。まさしく偶然の出逢いなどないのです。正しき想念の下、誠実をなして縁に一喜一憂することもない。全ては必然なるもの。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46