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男の羅生門 ‐ Guitar&Bike Life ‐

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September 14, 2022
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カテゴリ:雑談
久しぶりに無駄な語りをつぶやく。

俺も間もなく40歳ということで、言うなれば肉体は全盛期を失い、疲れが取れなかったり腰が痛くなったりと、それこそ10~20代では考えられない程に肉体に見放されたわけですが。ふと思うことは見た目は老いていっても、結局のところ精神年齢の根源は20代くらいで完結するなと感じたことです。

と言うのも、恐らくは今、人の親になり『お父さん』『お母さん』と言われる年齢、それこそ成人を迎えた子を持つ親、もしくはこの文章を読んでいる方達のさらに20歳上を想像しても、根本的な人格は青春時代のままと言うか・・・想像するよりも自分の主となる人格は10~20代から精神年齢が老いてはいない。



年を重ねれば人生経験として縦社会であったり礼儀であったりの洗礼を受け、物事に対する考え方の視点(視野)と価値観、それに対する順応力や責任感は増えている。そして発育の為の各ホルモン分泌的に活発な若年層時代の血の気の多さも落ち着きを見せることが多い。ただし、​それが大人になったのか? ​と問われれば、自分も含め『こんなイメージではなかった』と言うのが正直なところです。

老いがくれば日常的に『足腰が痛い』等の会話は通常よりは生まれるわけで、それがいつの間にか日常会話になり主軸となる。何となく年齢相応の話題がそうなってしまうのは仕方のないことで、病気や処方される薬をネタに老人たちが病院へ終結しコミュニティーの場としているのも頷けるなと感じます。

年齢が上になれば全盛期(青春時代)であった時代と今の若者の育ってきた環境のギャップも大きくなる。それこそブラウン管を通してTVを見ていた時代とスマホでyoutubeを見ている今の時代と比べてしまえば環境も違い、当時流行っていた遊びやファッション、音楽も全て違うので笑いのツボも違う。

例えば今では幼稚園児ですら持っているスマートフォン。俺の学生時代は『PHS』が主力、勿論着信音は単音で画面も小さくカラーでもない。 カメラ機能やアプリなんて当時はあり得ない装備だ。しかもEメール1送信30円等の時代で、やっとこさ購入できたのが高校生時代。 通話料が数万円となったりと携帯電話を持っていることがステータスだった。そして今ではパワハラ等と騒がれるが、昔は学校の先生がビンタして指導する等は当たり前だったりと、其々が生きていた時代と、現代の在り方しか知らない世代では指導の受け方、育ち方、考え方がまるで違うのです。

故にその考え方が新しいとか古いとかと比較された結果、ジェネレーションギャップになるのではないかと感じるわけです。勿論、話題に敏感になり今を知ろうとすれば考え方も若くあり続けられる可能性もありますが、老いと共に頭脳まで老いるのでまずまず大変だなと。そして出来上がってしまった自分の価値観を柔軟にするのも中々難しいものだと感じます。

つまりは、時代に取り残されてしまうのは仕方無いことだということです。って何の話やねん。





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Last updated  September 15, 2022 09:55:58 AM
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