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カテゴリ:大正・昭和
トランジスタラジオとは、増幅回路に半導体素子のトランジスタを用いたラジオ放送受信機の総称。 それまで主に使われていた真空管の代わりに、半導体素子のトランジスタを使うことで大幅な消費電力の低減がもたらされ、それによって小型化・軽量化・携帯化が可能になったもので、1950年中頃に量産が始まり、1950年代後半から1960年代にかけて普及、70年代までに従前の真空管をつかったラジオをほぼ駆逐するに至った。 真空管を増幅回路として使用するラジオは、電源電圧が比較的高い(100 – 120Vの商用電源か、低電圧動作の電池管と呼ばれる素子を使ったもので45 – 90Ⅴの高圧乾電池とヒーター加熱用に1.5 – 3Ⅴの乾電池が必要)上に消費電力も大きく、また真空管自体の外形の大きさから筐体が大ぶりで、卓上などに設置して使用するのが普通であった。小型化されたトランジスタラジオは電源電圧が低く(4.5 – 9Ⅴ)消費電力も小さいため、小型の乾電池で動作して片手で持ち運べる機器となり、野外でラジオを手軽に聞くことができるようになった。 車載用ラジオ(カーラジオ)では、米国で1927年頃から真空管式のものが発売されていたが、省部品・省電力の観点からトランジスタ化が進んだ。 1950年代後半の真空管からトランジスタへの移行期(また、日本でも同時期に自動車の普及が進むモータリゼーションが始まった)にかけて、日本ではカーラジオ(オートラジオ)市場に参入する企業が相次いだ(東芝、TEN(神戸工業、現:デンソーテン)、クラリオン、三菱電機、松下電器産業(現:パナソニック)など)。 ビーチやキャンプ場など商用電源の取れない野外でラジオが聞けるようになることで、ラジオ放送自体にも野外聴取を前提とする番組構成が取られるようになった。またラジオ自体の小型化・省電力化が進んだ結果、それまで「一家に一台」だったラジオ受信機の所有形態が「一人一台」に急速に変化した。 これに対応し、日本ではニッポン放送が先鞭をつけた「オーディエンス・セグメンテーション」編成が1960年代後半以降広く民放ラジオ局に普及するようになった。 日本における歴史 1948年にベル研究所は、トランジスタのデモ用として世界初のトランジスタラジオを発表した。その後1952年に 社、1954年にテキサス・インスツルメンツがトランジスタラジオのプロトタイプを相次いで発表した。 東京通信工業(東通工、現:ソニー)の井深大は、1952年、アメリカ合衆国での技術研修に出かけた際、ベル研究所の3人のスタッフがトランジスタを開発・特許をとっており、親会社のウエスタン・エレクトリック社(WE社)が2万5000ドル(約900万円)で公開していることを知る。 日本の通産省は「ちょっとやそっとのことで、トランジスタなんかできないよ」と否定的で、当初は東通工への外貨割り当てを拒否するほどだったが、1953年、盛田昭夫がアメリカに渡りWE社を訪問すると、東通工の技術力が高く評価され「ライセンス料の支払いは後でもいい」ということになったため、同社とライセンス契約を結んだ。その際、WE社は盛田に対して何に使うのかを問うと「ラジオに使いたい」と応じたが、この時WE社はやめるようにと勧告を行った。 初期のトランジスタは温度特性が悪く、またラジオの放送周波数帯で増幅器に用いるには特性が不安定であったため、真空管を代替することはできないと見られていた。商業用の製品としては補聴器が実用化されていた程度であった。 しかし、同行した東通工技術スタッフの岩間和夫はトランジスタの技術開発を取材、「岩間レポートメモ」としてまとめ、それを基にトランジスタラジオの試作品を製作した。だが、この試作品について井深は「とても商品として使えるものではない」と回顧している。 その間、1954年にアメリカのライバル社・I.D.E.A.のリージェンシー部門がテキサス・インスツルメンツ製4石トランジスタを使った世界初のトランジスタラジオ TR1を発表(10月18日)、クリスマス商戦にむけ発売($49.95これは2003年換算で$334)。 世界初を目指した東通工は落胆したが、その後1955年に複合型トランジスタ5石を使ったTR-52を市販しようと試作した。しかしこの「国際連合ビル」を連想させるTR-52のキャビネット格子(プラスチック製)が夏季の気温上昇により、出荷寸前になって反り返るトラブルが発生したため発売中止となってしまった。その後8月に改めてTR-55を開発し、その年の8月に市販開始。これが日本初のトランジスタ携帯ラジオとなった。 1955年にはさく良商事から鉱石検波で低周波増幅にトランジスタを使用したTHK TGR-21型が4300円で発売された。 ゲルマニウムトランジスタには製造歩留まりが劣悪だけでなく特性のばらつきが大きく、温度特性も悪いなど問題があったのだが、TR-55ではゲルマニウムトランジスタを採用した。低周波回路には比較的歩留まりが高いが高周波特性の悪い合金接合型トランジスタ、高周波回路には歩留まりが非常に低いものの高周波特性を改善しやすい成長接合型トランジスタを使用して製品化にこぎつけた。 しかし実際には成長接合型トランジスタの特性がバラバラで、結局ラジオ工場側ではトランジスタ個々の特性に合わせ回路の修正を行うことになり、量産とは程遠いほぼ手作りの状態で製造を進めることになった。 その後東通工では成長接合型トランジスタの全製品に対する追跡調査を行った結果、トランジスタのN型層を成長させるためにドーパントとして使用していたアンチモンが、既に作られているP型層に侵食してトランジスタとしての特性を悪化させていることが判明。そこでアンチモンの代わりにリンを使用してみたところP型層の侵食がなくなる(またそれに伴い高周波特性が改善し、特性のばらつきも大きく減少する)ことが確認できたため、一気にトランジスタ製造ライン全てで製造工程の切り替えを行った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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大変面白く拝読させていただきました。
なかなか資料でも出てこない、いわば裏話の世界は興味がつきません。 次回は真空管も取り上げていただけたら、と思います。 私も真空管の歴史を調べていますが、なかなか資料探しに苦労します。 (2024年02月19日 14時16分07秒) |