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歴史の回想のブログ川村一彦

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2024年06月18日
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カテゴリ:古代史




3「仏教教学を修学」


阿毘曇心論』、『阿毘曇心論経』、『雑阿毘曇心論』、および『アビダルマコーシャ』(倶舎論)が本書の教理をまとめた綱要書であるとするのが木村泰賢以来、半ば定説化した学説である。


仁平元年(1151年)、備中の安養寺静心に師事する。


安養寺(あんようじ)は、岡山県倉敷市にある高野山真言宗寺院である。


伝承によれば、安養寺は奈良時代延暦元年(782)、報恩大師により真言宗の寺として開山。朝原千坊の中院として13世紀の室町時代には浅原の谷一帯に『浅原寺』と総称される寺院が立ち並んでいたとされている。池田家文庫等によると安養寺は享保2年(1717)以前は現在地より220m南、倉敷市街よりにあり、客殿や庫裏を備えた朝原寺の本坊であったことが判っている。


また、源平盛衰記では鹿ケ谷の変治承元年(1177)、備前国に追放された藤原成親が備中国安養寺に出家・受戒したと書かれている。


安養寺は倉敷と総社を結ぶ浅原峠にあり、寺社地正面には天王池と呼ばれる池に朱色の浮見堂が造られている。


参道の石段にある楼門の上に大きな毘沙門天が乗り、その下には船の大きな碇が置かれている。境内に上がると毘沙門堂に高さ約26mの多宝塔、羅教堂、鐘楼、茶室などが配置されている。


本殿である毘沙門堂には、金色の毘沙門天本尊が祀られ、成願堂には平安時代に造営された経塚の出土品で、釈迦誕生仏像・瓦経・等身大の毘沙門天像などの文化財が保存され、仏像は無料で公開されている。


約11tの重量がある梵鐘中国四国一の大きさとされている。また、神仏習合の寺であるため境内には鳥居が三箇所あり、七福神の銅像も配置されている。


 






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最終更新日  2024年06月18日 07時26分15秒
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