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歴史の回想のブログ川村一彦

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2024年06月18日
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カテゴリ:古代史




「延暦寺に出家得度」


久寿元年(1154)、14歳で比叡山延暦寺にて出家得度


延暦寺(えんりゃくじ、正字延曆寺)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院比叡山、または叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京京都)の北にあったので南都興福寺と対に北嶺(ほくれい)とも称された。


平安時代初期の最澄767 – 822)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994には、古都京都の文化財の一部として、(1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。寺紋は天台宗菊輪宝。


最澄の開創以来、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室貴族の尊崇を得て大きな力を持った。


特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。


「延暦寺」とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域(これらを総称して「三塔十六谷」と称する)に所在する150ほどの堂塔の総称である[1]。日本仏教の礎(佼成出版社)によれば、比叡山の寺社は最盛期は三千を越える寺社で構成されていたと記されている。


延暦7年(788)に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年(823)のことであった。


延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁円珍融通念仏宗の開祖良忍浄土宗の開祖法然浄土真宗の開祖親鸞臨済宗の開祖栄西曹洞宗の開祖道元日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。比叡山は文学作品にも数多く登場する。1994に、ユネスコ世界遺産古都京都の文化財として登録されている。


また、「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。


なお、長野県境に近い岐阜県中津川市神坂(みさか)に最澄が817年に設けた「広済院」があったと思われる所を寺領とした「飛び地境内」がある。



歴史


比叡山は『古事記』にもその名が見える山で、古代から山岳信仰の山であったと思われ、東麓の坂本にある日吉大社には、比叡山の地主神である大山咋神が祀られている。


最澄


最澄は俗名を三津首広野(みつのおびとひろの)といい、天平神護2年(766)、近江国滋賀郡(滋賀県大津市)に生まれた(生年は767説もある)。15歳の宝亀11年(780)、近江国分寺の僧・行表のもとで得度(出家)し、最澄と名乗る。






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最終更新日  2024年06月18日 08時18分22秒
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