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再生核研究所声明 501(2019.8.22) 声明の表現の精神について
ここでは、 夜明け前 よっちゃんの想い やそれより前の 良い社会のために - よっちゃんの想い - に述べられた再生核研究所声明の趣旨を離れて、下記のひらめきの観点から、声明の表現に関する態度などについて述べたい。 (8月19日朝のブログ記事: 気持ち良い沢を 気分転換に散歩してきた。 そして 3つの考えが湧いてきた: カボチャの生態と人生、それは 悟ったような心境である、 再生核研究所声明の 表現の精神、 それらは、正規の文章に 表現したい。 第3は 自己紹介 である: 私は、ミスター ディビジョンバイゼロ である。 私には、名のる必要はない。 あなたは 世界史上で 私を詳しく知ることができる でしょう。 ー インドで 飛行機内で出会った若者に 既に そう言ったものである。) 声明では 何時どのように感じ、考えたかを重視、何よりも率直な表現に心がげている。実は、これには深い配慮がある。自分を率直に表現して 言わば神の前に 裸の自分を素直に表していること である。表現することは、自分の能力や恥を言わばさらけ出すことである、表現することは、所詮人間は作られたもので、神の前で 言わば形づくっても所詮空しく、やがて進化する人工知能の前では 全ては明らかにされてしまうという事実を すっかり理解している。 私は、このように思い、考えましたと 神の前で述べているような精神です。 書かれたものは どこまでも拡散され、残される可能性が高いので、表現には 相当の気を遣って来ました。もちろん、声明第1の 公正の原則を重んじて、声明の適否についても 慎重に検討してきたつもりです。- 背後の精神には、およそ命あるものは 同じ哀しい運命を共有している という、共感、共鳴、共生の精神です。 再生核研究所声明の初めの精神には より良い社会のために の 社会貢献の意図が相当に強く、大事な教育や政治面についての率直な提案なども多くなされましたが、近年では 数学者の人生として、ゼロ除算関係の声明が多くなっています。これは、教育も政治も難しく軽々しく言及できないという、いわば賢者の沈黙に通じる面がありますが、無力な立場の者として、重点的な取り組みに集中してきたことにあります。 残された時間に 何ができるかの観点が 強まり、魂を天に返す心構えとして して置きたいことの整理の観点 から、楽しく終末を迎える準備を始めていることによります。 以 上 2019.8.18.14:20 2020.8.19.15:52 残暑の感じ、一気に書いたためか、完ぺきな表現になっている。 2019.8.20.06:14 小雨の朝。 これは良い。最後の文は? 真実だが? 2019.8.20.19:11 十分に良い。 2019.8:21.05:22 良い。 2019.8.21.13:28 買い物に出かけてくる。 2019.8.21.18:48 夕立あり。 2019.8.21.21:57 結構強い雨。 2019.8.22.05:24 相当雨が夜に降り、今朝は少し寒い感じを受けた。これは良い。少し書き足したいことが在りそうだが、完成できる。 2019.8.22.06:12 声明500や研究計画の文章を精読して、時間の間をとる。完成、公表。小雨。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2019.08.22 06:15:01
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