テーマ:政治について(19803)
カテゴリ:政治・平和
朝日朝刊より 社民党前参院議員の田英夫(でん・ひでお)さんが13日、呼吸不全のため東京都内の病院で亡くなった。86歳だった。リベラルを貫いた生涯。 「若い連中は平和ボケだな。勝手な戦争論をぶって」 田英夫氏は晩年、議員会館から腎臓透析に通いながらこう言っていたそうだ。 大臣を務めた男爵の孫、学習院で「白樺」文学を読んだ青春。 道理で上品な雰囲気、私も若い時に武者小路実篤の作品が好きでした。 しかし東大在学中の43年に学徒出陣。 海軍で「お前たちから特攻を募集する」と言われ朝までもんもんとした。 「戦争は弾の中だけで死んで行くのではない、人間の苦しみのひどさをわかってほしい」 敗戦後,記者に。レッドパージで地方に「流罪」 ニュースキャスターの走り。ベトナム戦争の折、「ハノイ田英夫の証言」が自民党の不興をかい、TBSをやめた。 ボートに爆薬を積んで敵艦に体当たりする海軍震洋特攻隊に属した体験をもとに、平和を訴え続けた。共同通信社記者やTBSキャスターを経て、71年の参院選全国区に社会党から立候補し、トップ当選。当選6回で、07年の参院選に立候補せず引退した。 キャスター時代にベトナム戦争報道で米国を批判し、降板となった。78年には菅直人氏(現副総理)や江田五月氏(現参院議長)らと社会民主連合(社民連)を結成し、代表に就任。「自民党政権の打倒」を掲げた。 93年に非自民連立の細川政権が成立すると社民連の参加に反対し、94年に離党。97年、社会党の後継の社民党の存在感が薄れることへの危機感から、「二大政党制でなければならないというのは違う」と社民党に復帰。外交・防衛部会長などを務めた。 政界引退を決めた06年、朝日新聞の取材に「健康を理由に平和を言い続けることができなくなるのが残念だ」「政治家・田英夫の最後の言葉は『戦争を忘れちゃいけない』だ」と語っていた。 同じ18日の朝刊に「南京・引き裂かれた記憶」竹田倫和監督の映画の話が載っている。 続きはこちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.18 23:31:07
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