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2023年03月05日
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カテゴリ:音楽
もうだいぶ前(先月中旬ごろ)になりますが、朝古楽で「ヘンデルの協奏曲〜知られざる作品を中心に」と題したプログラムが流れました。その際に、ヘンデルが「自作の使い回しの名手」であることをMCの加藤拓未さんが紹介していましたが、実はこの使い回し、他の音楽家の作品にも及んでいることを最近になって知りました。情報源は、アレクサンダー・シルビガーさん(Alexander Silbiger)という米国の音楽学者が書いた「ヘンデルの合奏協奏曲におけるスカルラッティからの借用について」という論文で、1984年にMusical Times誌に発表されたものです。

ヘンデルが活躍した18世紀当時、音楽家はまだお雇いの身分で、おそらく近代的な意味での芸術家意識も希薄でした。彼らが作る音楽も基本的には機会音楽(つまり演奏機会は一度きりしかない)だったわけで、そこで過去の自作のみならず、他の音楽家による同時代や過去の音楽を流用することにもあまり抵抗はなかったと想像されます。

実際、合奏協奏曲の引用部分と元ネタとされるスカルラッティ・ソナタの演奏を聴き比べながらシルビガーさんの論文を読んでいると、「あ〜なるほど!」と思うことばかり。トレヴァー・ピノック指揮、イングリッシュコンソートのCDを30年以上も繰り返し聴いていたのに、こうして指摘されるまで気づかなかった自分にも驚くとともに、この作品が亭主の大好物である理由が分かった気になりました。

以下、亭主訳でシルビガー先生の論文をご紹介:
       *      *      *      *      *

ヘンデルは生涯を通じて、他の作曲家の曲を自分の作品に取り入れた。もし、ヘンデルの創作意欲が枯渇していたのであれば、自分の作風に近い作品を取り入れたに違いない。そうではなく、彼はカリッシミ、ケルル、ストラデッラといった往時の音楽、あるいはテレマンの「食卓の音楽」やハーバーマンのミサ曲のような、自分よりも進歩的な語法の同時代作品に目を向けることが多くなった。

周知のように、1739年9月から10月にかけて作曲された『合奏協奏曲』Op.6において、ヘンデルはその少し前に出版された鍵盤音楽集、ゴットリープ・ムッファトの『コンポニメンティ・ムジカーリ』 を大幅に活用している。だが、この協奏曲の中でもう一冊の鍵盤音楽、ドメニコ・スカルラッティの「練習曲集(Esserzici)」を利用していることはほとんど気づかれていないようだ。30曲からなるこの曲集(個々の曲は「ソナタ」と題されている)も、出版されたばかりであった。初版は1738年4月21日から1739年1月31日にかけてロンドンで出版され、その後、トーマス・ロージングレイヴが編集した増補版がすぐに出版された。

練習曲集から直接借用した例としては、ひとつだけ早くから注目されていたようだ。バジル・ラム(Basil Lam)は、協奏曲第5番・第5楽章の冒頭主題がソナタ第23番の冒頭をモデルにしていると指摘し、ヘンデルがその後57-9小節で主題を変形させることでより類似性が高まったとしている。この楽章には、スカルラッティの快活な道化的スタイルの響きが息づいている。構成は練習曲集の二部形式の枠組みをほぼ踏襲しながらもその調性のスキームには従わず、独創的な和声のひねりを加えている。最初の部分は関係短調(39小節目)で終止し、その後で冒頭のアイデアは突然下属調で再提示される。この協奏曲の第3楽章もややスカルラッティ的であり、ソナタ第26番を出発点としているのかもしれない。

協奏曲第1番の終楽章について、ラムは「全般的にドメニコ・スカルラッティを妙に連想させる」と書いている。実際、冒頭の音形から始まって、ソナタ第2番からほぼ文字通りの引用が続いている。他のスカルラッティからの借用とは異なり、この楽章は単にいくつかの動機的な素材というよりもさらに練習曲集に負うところが大きい。完璧な二部形式の対称性と、4小節の区切りの連続(それぞれが新鮮な楽想を導入する)により、この楽章はそれらの特徴的な型にきちんと適合している。これはヘンデルの典型的な手順とは言えない、というのも、ヘンデルの楽章は冒頭のアイデアから滑らかに展開する傾向があり、二部構造がこのようにバランスのとれた対称性を示すことは稀だからである。しかし、この曲は決してスカルラッティのソナタのパラフレーズではなく、完全にヘンデル的な響きを持っている。

協奏曲第3番・第2楽章の驚くべきフーガの主題について、ラムは次のように書いている:「2つのあいまいな音程、すなわち、減4度と増2度が続く主題をあえて使う作曲家はほとんどいないだろう」。しかし、ひとりはそうした。スカルラッティは、ソナタ第30番の有名な「猫のフーガ」で、さらにもうひとつ増2度を加えた。ヘンデルの猫も同じように不器用であったようだが、反対方向に歩いている。この楽章がスカルラッティのフーガではなく、バッハの「マタイ受難曲」の冒頭をラムに思い起こさせたのは不思議で、彼は「ヘンデルはこの深遠な悲劇の曲のように個人的な主張をすることはほとんどない」と付け加えている。調性や悲劇的表現がスカルラッティではなくバッハにあるという連想が、彼をこの方向に向かわせたのかもしれない。しかし、ヘンデルがスカルラッティに負うところは、主題と副主題、そして2曲のさらなる展開、例えば、逆行する音階の連続において明らかである。

この協奏曲の他の2つの楽章は、スカルラッティから霊感を得ているようだ。第5楽章の冒頭をソナタ第15番と比較すると、調性、拍子、メロディーの動き(第1小節と第3小節)、構造において類似していることがわかる。どちらも対称的にバランスのとれたフレーズで始まり、それらが繰り返された後に前触れなく関係長調に変わる。第2楽章は、ソナタ第12番のパッセージを模したいくつかの音形を含む。第7小節と第29小節、第35小節の反復する8分音符は、低声2声の反行(スカルラッティでは第14小節)に伴われている。

以下の最後の類似点については、単独で発生した場合には偶然の一致とみなされるかもしれない。しかし、明確な例と一緒に登場することで、借用としての信憑性が高まる。同じ理由で、他のいくつかのケースも借用である可能性を考慮する価値があるが、類似性はより低く見えるかもしれない。それらは協奏曲第4番・第1楽章とソナタ第16番(付点音形に続く一対のアポジャトゥーラ)、協奏曲第6番・第5楽章とソナタ第6番(3/8拍子、8分音符による三和音の輪郭、16分音符3連の下降音形)である。

多くの例で、調、拍子、音域、テンポが同一または類似している。これらの要素、特に同じ調の使用は、痕跡を消そうとする盗作者にはほとんど期待できない。さらに、ヘンデルが盗作を見破られたくないのであれば、ロンドンの音楽界でよく知られ、賞賛されている作曲家の最近の出版物を使用するのは愚かなことであった。チャールズ・アヴィソンは、ヘンデルがスカルラッティの鍵盤楽器のスタイルをうまく取り入れたのを見て、スカルラッティのソナタを一揃いの合奏協奏曲にするという着想を得たのであろう。

ムッファトのコンポニメンティからの借用は全部で15件あり、ここに報告されている8件のスカルラッティからの借用、ポリエッティからの2件、ケルル、ザハウ、クーナウからの各1件を合わせると、28件の他の作曲家の作品の利用が疑われている。さらに、ヘンデル自身の初期の作品を利用したケースも12件ほど報告されており、12曲の合奏協奏曲の中で、ヘンデルが他の音楽ネタから着想を得た箇所は約40箇所にも及ぶ。

スカルラッティからの借用と推定されるものは、すべて最初の6曲の協奏曲に現れ、ムッファトからの借用は、ほとんどが後の協奏曲に現れている。両者とも、ヘンデルが一時期親交のあった作曲家によるものである。ヘンデルとムッファトの関係は、1730年代半ばに文通し、互いの作品を交換したようで、ベルント・バセルト(Bernd Baselt)の最近の論文で明らかにされている。ヘンデルとスカルラッティの関係は、彼らがヴェネツィアで過ごした初期にさかのぼり、18世紀以降、その出会いに関する逸話が語り継がれている。ヘンデルがイタリアを離れた後、さらに交流があったという証拠はない。1719年にスカルラッティがローマからロンドンに向かったというバチカンの日記の記述は、英語の資料では確認できないため、懐疑的に捉えられている。しかし、その後、個人的な接触がなくても、ヘンデルは自分の手に入るかもしれない昔の仲間の作品に興味をもって見ていたと思われる。そして間違いなく、ヘンデルは練習曲集の新鮮で独創的なスタイルに興味を持ち、協奏曲の中で彼らの音楽的アイデアのいくつかを弄ることを楽しんでいた。

ヘンデルの協奏曲の楽章をモデルとしたものと比較すると、彼らの音楽言語の違いが浮き彫りになる。それぞれの才能は、ほとんど正反対の方法で表現されている。スカルラッティにとっての形式とは、新しい、時には驚くようなアイデア、突然の転調、四角張った旋律、準備なしの不協和音のクラスターが次々と現れる、固定的な型であったようだ。ヘンデルはより効率的で、冒頭のモティーフに大きな重みを与え、楽章の終わりにはしばしばそれを繰り返す。和声はあまり冒険的ではなく、スカルラッティによく見られるような突然の長調-短調の転換はほとんどせず、不協和音の扱いも伝統的である。形式に対するアプローチは、スカルラッティとはほぼ逆で、決められた型というよりも、音楽の流れの結果である。こうして、彼の特徴である連続性、あるいは「長い息」を実現している。南方の盟友のきらびやかな音楽から要素を「借りる」ことを許したのは、霊感に乏しいということではなく、作曲の達人としての自信の表れであろう。
(The Musical Times , Feb., 1984, Vol. 125, No. 1692 (Feb., 1984), pp. 93-95. なお、引用文献については省略。 )








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最終更新日  2023年03月06日 07時37分17秒
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