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2023年08月20日
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カテゴリ:音楽
8月も下旬になりましたが、あいかわらずの猛暑日続き。せめて想像の世界だけでも、と今日は涼しい話題を一つ。
「1927(昭和2)年1月、京都帝国大学(現京都大学)山岳部員3名、東京帝国大学(現東京大学)山岳部員1名の計4名は、スキーのため雪不足の妙高高原から、湯の丸高原に目的地を変更して群馬県嬬恋村の鹿沢温泉「紅葉館」に投宿しました。
 翌日は猛吹雪に見舞われ宿に閉じ込められたため、退屈しのぎに山岳部の歌をつくろうということになったのです。メロディはアメリカ民謡「愛しのクレメンタイン」を使うこととし、山岳への純粋な思いを歌詞にしようと出来上がったのが「雪山讃歌」です。
 この「雪山讃歌」は山岳部で歌い継がれ、1950年以降に流行した「歌声喫茶」で爆発的に熱唱され、その後ダークダックスが1958(昭和33)年にシングルレコードを出し、翌1959(昭和34)年に紅白歌合戦で歌われたことで、国民的な楽曲となりました。一説には、ダークダックスが志賀高原へ向かうバスの車中で、バスガイドが歌ったのを聞いて、取り上げたとも言われています。
 当初は「読み人知らず」であったこの曲は、大ヒットとともに、歌詞をつくったメンバーの一人であった西堀榮三郎の作詞として著作権登録され、著作権使用料は京都大学山岳部の活動資金となっています。
 この文字は、後年、西堀が紅葉館に訪れた際に揮毫したもので、石碑は紅葉館の向かい側に建てられています。(S)

雪山讃歌作詞メンバー
西堀榮三郎 第一次南極観測隊越冬隊長 
四手井網彦 京大カラコルム遠征隊長
酒戸弥二郎 京大パミール遠征隊長   
渡邊  漸 チャチャヌプリ遠征隊長

先週は職場の夏季休業に年休を追加して1週間のお盆休みを取った亭主、水〜金と家人に連れられて信州方面に出かけました。その最初の目的地が鹿沢温泉「紅葉館」。同館は群馬—長野の県境近くに位置し、関東からだと上信越自動車道の小諸出口から北上するのが近いということで、昨夏の菱野温泉に引き続きふたたび小諸方面に向かうことに。




とはいえ、このところ日本ワインがマイブームの亭主共としては、「千曲川ワインバレー」のど真ん中に来てしまった以上、ワイナリーを素通りというわけには行きません。今回はシャトー・メルシャンの椀子(まりこ)ワイナリーと個人ワイナリー「リュードヴァン」を尋ねることに。いずれも大変印象に残りましたが(特に前者はワインツーリスムの客にとってまさに理想とも言うべき素晴らしさ)、その話はまた別の機会に。

さて、冒頭に掲げたのは旅の初日に泊まった温泉宿、紅葉館のダイニングルームにさりげなく掲示されていた小さなパネルの記事からです。昭和青春世代の亭主はもちろんこの歌は知っていましたが、その由来についてはここで初めて知ることに。西堀榮三郎の名前も実に久しぶりに目にしました。(「この文字は」とあるのは、すぐ近くに飾ってあった西堀氏が歌詞(の一部)を揮毫した色紙をさすようです。)

日本最初の南極観測(1957〜8年)がどのような経緯で行われたかについては、2001(平成13)年にNHKで放送された「プロジェクトX~挑戦者たち」をご覧になった方も少なくないと思われます(昨年には4Kリマスター版が放送されたらしい)。そこでも紹介されたように、隊長の永田武が、南極に到達後、副隊長だった西堀から「次にいつ南極に来れるかも知れないので、このまま残って観測を続けたい」という申し出を受けて、当初予定になかった越冬観測を(派遣元の文部省に相談なく)独断で許可したという話、今では冗談としか思えない展開ですが、なぜかワクワクさせられます。(西堀ら11人の越冬組は1年後に貴重な観測データ携えて無事帰還し、日本中を沸かせたとのこと。ちなみに、亭主が学生時代に所属した研究室の秘書さんは京都出身で、西堀氏と個人的に面識があったとのことで、南極観測隊の逸話などを伝え聞いた覚えがあります。)

こういう背景を知った上で「雪山讃歌」の歌詞を眺めると、そこに歌われた冬山への熱烈な思いこそが、未踏の大冒険(しかも計画なしで!)に挑むという行動の源だったのだ、と今になって大いに納得。彼が冬季登攀で心身を鍛えていたことを考えると、幸運は準備が出来ている者に訪れる、という典型例でもあると思われます。

そんな西堀氏と縁の深い紅葉館は1869(明治2)年の創業とかで、今は5代目が切り盛りされています。また、肝心のお風呂も100%源泉掛け流しで(48℃の湯が毎分60リットル湧出)、少し濁った弱アルカリ性の炭酸ナトリウム泉をじっくり堪能できます。また、浴槽は2代目が作ったものがそのまま使われているとのことで、夕食後最初に浸かりに行った際には暗くてよくわかりませんでしたが、翌朝もう一度伺うと、洗い場の床や浴槽を覆っている木は相当な年季を感じさせます。また、男湯女湯を分けるモルタル壁には見事な鏝(コテ)絵が描かれており、こちらも歴史と風格を感じさせます。(この宿について詳しく紹介した記事はこちら




ところで、亭主はこの「雪山讃歌」が「愛しのクレメンタイン」の替え歌であることをほぼ知らないという状態でした(似ているとは思っていましたが…)。改めて調べてみると、後者(原題は“My Darling Clementine”)はアメリカ映画「荒野の決闘」(1946年)の主題歌となり、元の歌自体も広く知られるようになったとあります。

ここで「元の歌」とは歌詞のことで、パーシー・モントローズの作(1884年)とされていますが、元になったメロディーの方は出所不明とのこと。英国の作家ジェラルド・ブレナンは、彼の自伝的著作「グラナダから南へ(South from Granada)」中で、それをスペインの古いバラード曲と言及しており、19世紀半ばに米国カリフォルニアで起きた「ゴールドラッシュ」時代にメキシコ人鉱夫の間に広まり、それに様々な英語の詩が付けられたのではないかと推測しているようです(が、真偽は不明)。

というわけで、今回は思いがけずも温泉巡りが「雪山讃歌」の故郷と由来を訪ねる旅となり、「民謡の生命力」をまざまざと実感させられました。









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最終更新日  2023年08月21日 23時08分03秒
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