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未音亭日記

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2023年10月22日
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カテゴリ:音楽
先週のある朝、新聞一面最下段にある新刊書・雑誌の広告に目を落としたところ、「ムジカノーヴァ」という雑誌のサブタイトルに小さな活字で「特集 今こそ見直そう!バロックの演奏法・指導法」とあるのを発見、何が書いてあるのだろうと気になり始めました。

早速ネットで検索して件の雑誌のホームページに行ってみると、今年はバッハの《インヴェンションとシンフォニア》が完成して300年目にあたるとのこと。で、バッハの作品に代表されるバロック音楽を演奏・指導する際に、どうすれば「バロックらしく」演奏できるのか、ピアノで演奏するために知っておくべき知見や教え方、そして具体的なフレージングやバッハの時代の指づかいなど、ピアノ指導者の方々が「見落としがちかも?」というポイントについて、具体的な例を挙げながら専門家の先生方にご解説いただく、という特集企画でした。(ちなみに、専門家の先生方として寄稿しているのは平井千絵、塚谷水無子、髙橋望の各氏。)

昨今の古楽ブームで、バッハやスカルラッティといった定番のレパートリーのみならず、ラモーやクープランをモダンピアノで弾くピアニストも珍しくなくなってきたので、最初にサブタイトルを見た時にはちょっと期待したものの、全体的にはやはりピアノ演奏によるバロック作品はバッハがメイン、という雰囲気を醸し出しています。

ところで、《インヴェンション…》が完成して300年、というのは亭主もあまり意識していなかったので、未音亭にある三冊の楽譜(全音の1955年版、1972年版、およびヘンレ版[2014年?])を引っ張り出すとともに、この点についても改めて調べ物を少々。

今から300年前の1723年といえば、バッハ(38歳)にとっては「ライプツィヒの聖トーマス教会への転職」という人生の一大転機だった年でもあります。その動機は明確で、それまで仕えていたケーテン宮廷・レオポルト侯の再婚相手が音楽に全く興味を示さず、そのせいでバッハの周りの音楽環境も悪くなっていったことが挙げられています。

この年、聖トーマス教会では「トーマス・カントル」だったクーナウの死去を受けて後任を公募し、バッハもよりよい待遇を求めて応募します。その際問題になったのが、トーマス・カントルに課せられていた教会に併設された学校での教育の責務。ヘンレ版の校訂者、ミカエル・シュナイト氏による見立てでは、大学も出ておらず教育経験もないバッハは、別の方法で自分の教育能力を証明する必要に迫られたと思われます。

そこで、バッハはちょうど1720年ごろから息子たちのために作曲・編集し始めていた音楽帳をベースに、2声部の作品に「インヴェンション」、3声部の作品に「シンフォニア」という新たな題目を付けて清書し、「誠実なる手引き (Auffrichtige Anleitung)」というお題の前書きを付け加えることで、教育用の作品として取りまとめました。つまり、《インヴェンション…》が「完成して300年」とはそういう意味だったわけです。(これらが印刷譜として一般に公開されたのは1801年、ブライトコプフ&ヘルテル社からだったようです。)

ちなみに、これに少し先行する形で(1722年)同じ教育目的でまとめられていたもう一作が、後の「平均律クラヴィーア曲集第1巻」。バッハはこれら2つの曲集をライプツィヒ当局に提出することで自分の教育能力をアピールしました。

さて、バッハは首尾よくこのポストを得ましたが、ライプツィヒ当局からすると本命に逃げられた挙句の選択ということだったようで、これら「教育用の作品」がどれだけ功を奏したのかは不明。それでも、《インヴェンション…》がピアノ教育で占める重要性は今なお大きなものがあることは、本邦でも連綿と日本語版の楽譜が出版され続けていることからも伺えます。

ただし、その受容態度となると、過去数十年にわたって大きく変化していることは、亭主が持っている三冊の楽譜を見ても一目瞭然。

まず、全音1955年版の巻頭「この曲集について」を眺めると、それがチェルニー校訂版(1840年頃)に依拠していることがわかりますが、その文章からはこの無署名氏がバッハを神のごとく崇めている様子がヒシヒシと伝わってきます。例えば中段、「バッハの音楽性について」と題した文章の冒頭では、「ところで、最大の問題は、なぜバッハにかぎってこんなにいろいろな研究がされているのか、いいかえれば、なにがそれほどバッハに引きつけるかということである。それはただ彼があまりに『偉大だから』という表現につきよう。(以下略)」とのたまいます(やれやれ…)。(ちなみにこの楽譜、亭主がアンドラーシュ・シフの演奏に出会った1990年代に購入したものです。)


次に、同じ全音の1972年版(ビショップ版)を見ると、こちらは角倉一朗氏よる詳細な解説がついています。記事の前半、バッハの生涯を振り返りながらこの曲集の由来や意味を説明する記事は、今読んでも大変素晴らしいものですが、例えば「古今の大作曲家の中で、バッハほど家庭に恵まれ、バッハほど家庭を大切にした例は少ない」といった記述からは、まだまだバッハを理想化しているフシも伺えます。一方で、ビショップ版の由来を説いた後半では、原典版と校訂者による演奏記号などの関係に詳しく触れ、後者が一つの解釈に過ぎないことを断った上で、「たとえば《インヴェンション》のエディションのうちもっとも長い歴史を誇るチェルニー版は、完全に19世紀前半のバッハ解釈を示し、今日この版の指示に従うことは時代錯誤以外の何者でもない」と断言。さらに、このような実用版ではバッハ自身が書いた指示(装飾音とタイだけ)と校訂者の付加した指示を区別できないことを警告しています。(この楽譜は、娘がピアノを習っていた2000年前後に先生の勧めで購入したもの。)


最後のヘンレ版、これは原典版ということで、当然ながら校訂者による後付けの記号は一切なし。前書きも、版を起こすに際して参照した原典譜の所在やその由来を解説しただけで、余計な記述はありません。また、巻末には、プロの演奏家なら一度は眺めておくべき情報として、それら原典テキスト間の異同の詳細がまとめられています。


この楽譜、ハープシコードで音にしてみようと比較的最近になって購入したものですが、その譜面を眺めていると実に清々しく、まさに「バッハは自由の国だ!」というどこかで読んだ台詞が思い浮かびます。実際、バッハは十歳そこそこの息子たちにこのような譜面を見せながら、自らその中に音楽を見つけるように仕向けたのではないだろうか、と想像させられます。

いまどきの音楽教室で、演奏記号がうるさく記入された実用版の《インヴェンション…》を前にした子供たちは何を思うのでしょうか。以前に反田恭平氏がどこかで言っていたことをふっと思い出し、「先生はどうしてそういうふうに弾くの?」という問いにちゃんと答えてもらっているだろうか、と心配になります。(まさか「楽譜にそう書いてあるでしょ!」と答えているとは思いたくありませんが…)









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最終更新日  2023年10月24日 22時47分08秒
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