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小さなkitchen-Garden

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2015/03/27
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“美濃路大垣宿本陣跡” “大垣宿問屋場跡”等の

歴史の跡がたくさん残っている美濃路を歩きながら、

大垣公園に入りました。

大垣城の西側の公園に馬に乗った甲冑武者の銅像があります。

これは戸田氏鉄(とだ うじかね)という戦国武将です。

            【戸田氏鉄騎馬像】

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戸田氏は古くから仁連木周辺に勢力を持っていた一族です。

仁連木とは三河国仁連木(みかわこくにれんぎ)で、

現在の愛知県豊橋市仁連木町です。

戦国時代は駿河の今川氏や三河の松平氏、牧野氏らと、

戦ったり、従属したりして戦乱の世を渡りますが、

氏鉄は家康の近習として仕え、家康と共に各地を転戦します。

関ヶ原の戦いにも従軍し、

1603年 父・一西(かずあき)の死により家督を継いで、

近江国膳所(おうみこくぜぜ:現在の滋賀県大津市)の藩主となります。

大坂の陣後、1616年 摂津尼崎五万石へ移封後、

1635年 美濃大垣10万石へ移封されました。

その後、代々戸田氏が大垣藩主となり、

明治時代まで続いたので氏鉄は大垣藩の藩祖としても有名な人物となりました。

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騎馬像の横では早咲きの桜が吐き始めていました。

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西軍・石田三成の本拠地となった大垣城。

関ケ原合戦本戦の舞台となるはずだったこの大垣城には、

当時の戦国武将たちの貴重な資料があります。

石田三成をはじめとする西軍・東軍の武将による連署禁制の書もその一つです。

そこには、小西行長、宇喜多秀家、島津義弘、池田輝政など、

関ケ原の戦いで活躍した武将の名前があります。

ここ大垣城で、まさに関ケ原の戦いが起きようとしていたのですね。

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            【大垣城 東門】

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天守が復興された際に、

七口之門の 1つである柳口門がここに移築されました。

右端に見える櫓は、

戦前は国宝に指定されていた艮隅櫓(うしとらすみやぐら)。

全盛期にはこういった櫓が10を数えたと言われています。

P3120030.JPG

ここを上がって、天守閣に登ります。

全国的にも珍しい4層の天守を持ち、

「城下町・大垣」のシンボルとして市民に親しまれている大垣城。

昭和34年(1959年)に再建されました。

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天守閣から見える大垣公園と戸田氏鉄騎馬像

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西側には雪化粧が美しい伊吹山が望めます。

P3120028.JPG 

戸田氏鉄は教育に力を注ぎ、新田開発や治水に手腕を発揮したことで、

城下町大垣は発展してきました。

戦災で焼失する以前、大垣城の天守は旧国宝に指定されていました。

戦災で惜しくも焼失しなければ、

大垣城は歴史的価値の非常に高い観光名所になっていたことでしょう。

しかし今、大垣城は緑豊かな”県内最古”の都市公園となっています。

再建された大垣城天守がライトアップされ、

闇夜に浮かび上がる姿はとても幻想的です。

大垣公園の芝生広場では多くのイベントが行われ、

市民の憩いの場として親しまれています。

大垣城は、ゆったりと時を過ごせる街中のオアシスになっていました。

 

それでは次は岐阜市に移動します。

 

《続く》

 

 






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Last updated  2015/03/27 07:20:58 PM
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