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2005年02月26日
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カテゴリ:雑記
妹は幼い頃から入退院を繰り返していました。
大学病院や福岡市の市立病院でしたので、付きそう母親は大変でした、県外でしたし仕事もしていました。
それで私や親戚などが時々泊まり込みで付き添いを交代していたんですね。
私が市立病院に付き添いをしているときに、皇族の方がお見えになったことがありました。
1~2週間前から何度も院内放送が流れ、職員・看護士(当時は看護婦でした)が掃除に精を出していました。
患者のことは後回しっぽい印象もあったけど、とにかく準備が大変そうでした。



当日は付き添いの私たちまで、玄関に整列してお出迎えをするように看護婦が各病室を回って呼びかけていました。
院内放送でも促されました、車椅子や松葉杖の患者も行くようにと。
妹は大きな手術を終えたばかりで、寝たきりの状態でした。
トイレも世話しないといけないし、喉が渇いても自力では水も摂れません。
とても側を離れる気にはなれず、私は看護婦の呼びかけも無視して病室で付き添っていました。

妹の病棟は整形外科でしたが、訪問されるのは心臓外科の病棟でした。
当日の朝、危篤状態の心臓病の幼い患者が私たちの病室の隣に移されました。
理由は聞いてないのでわかりませんが、皇族の訪問に関係があったと思います。
たぶん、危篤の患者はとても見せられないと判断されたのでしょう。
訪問が無事に終わった午後、症状が悪化されたのか…隣の病室から付き添いの母親らしい人の声が漏れてきました。
「○○ちゃん、○○ちゃん…」悲痛な、涙声でずっと名前を呼び続けていました。
聞いているのがとても辛くていたたまれませんでした。
患者は4つくらいの男の子で、もう意識がなかったようです。
廊下にも他の付き添いの人たちなど数人が、遠巻きに見守っていました。
夕方の4時くらいに亡くなられました。
病室から延命装置でしょうか、機械が運び出され、母親らしい人の嗚咽が漏れてきました。
私たちも壁越しでしたが、涙が止まらずそっと手を合わせていました。

皇室の方の地方公務等は迎える方は、事前にいろいろと苦労して準備されています。
どんな犠牲をはらってでも有り難いと感じている人たちも大勢います。
高校生くらいの頃は疑問に思っていたこともありますが、被災地など訪問されていて、お年寄りが涙を流して喜んでいる報道などを見ると、考えが変わったりもしました。

長野の大会の開会式への間際になっての欠席という報道には私はちょっと考えさせられています。
心待ちにして準備に精を出していた人たちもいたでしょうに。
「やりがいのない公務」ってもしかして地方へ訪問されることでしょうか。
スキーはできてもそういうのは負担なのでしょうか。





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最終更新日  2005年02月27日 16時39分57秒
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