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カテゴリ:ケアマネ物語
次回は何を書こうかと言いながら、もう書き出していたのです。介護保険と歩むケアマネ・・というところでしょうか。
私は2000年5月連休明けの日に、A社の入社式に出席いたしました。 結婚して15年くらい、主人の家業の手伝いをしていました。専業主婦、兼業主婦、いえほとんど家業の従業員でした。 朝8時から仕事を始め夜9時になっても仕事をしていたこともあります。自営ですので土日もなく・・。 そのときの仕事はなんと和文タイプでした。今もミスタイプが多いのですが、和文タイプはミスタイプは許されません。ミスを犯すと、1字くらい間違えたのなら練りケシで消して打ち込むという事も出来ますが、1行抜かすと、全て打ち直しです。 そのような苦労ばかりで実りのない仕事をつづけていました。ワープロが世に出始めたとき、すぐに飛びつきました。だってミスタイプしても打ち直したとき、綺麗なんですもの。 パソコンはウインドウズ95の前・・3.幾つでしたっけ・・。ちょっと忘れましたが、そのとき導入しました。 もう和文タイプとさよならです。(実はコンピュータ制御の和文タイプ(時価200万円)を導入していたのですが、なおワープロもDTP専用の物が400万円しましたが・・、それもさよなら・・)だってマイコン(当時の呼び名)は安いんですもの・・。 なぜこのようなことを言うかといえば、ケアマネになって、役だったことは、このパソコン経験でしたから。しかし役に立つのも数ヶ月後のことでした。 ある日地蔵通りを散歩していたらA社の事業所がありました。ここは近くていいな。歩いて3分ぐらいの所です。 さっそくネットで探索してA社のHPをヒットし、採用のページから申し込んでしまいました。 すぐに電話があり、履歴書をもって面接に来てほしいとのこと。 家業ではバリバリやってきましたし、東証一部上場の大会社に商談に出かけたことだってあります。顧客から苦情を受けても一歩も引かない人間でした。 実際は社会から離れて15年あまり・・。家業のバックがあってこその強気だったのです。 私が社会に復帰しようと思ったのも、いつの間にか井の中の蛙・・になっていました。自立できていないことが判ったからです。 夫も私に依存していましたが、私自身その夫に共依存関係だったことに気付きました。 まだ社会に復帰できるのなら、と思いました。 ちょうど介護保険が施行され、新しい制度を見つめたい、中で見極めたいと考えました。 募集があったので(仮にA社とします。A社は1年中募集していますが)、そしてTVで盛大にCMをしていたので、まあいいかな・・と。外の会社を知らなかったということもあります。 久しぶりの社会復帰です。ドキドキしながら面接に向かいました。 現在のA社本社はあの悪名高い六○木ヒル○(これで何という会社か、判りますが判らないふりをしてください。)にありますが、私が面接を受けた時は本社は西新宿の鳴子坂にありました。すぐそばに鳴子天神がたあったことを覚えています。 実は面接を受けずに帰ろうか・・と思いました。 西新宿と言ってもごみごみしていて、下町っぽいし、新しいビルでしたがとても小さく、入り口もわかりにくく、上がっていくと段ボールの荷物が積み上がっていました。きっと六本木(ヒルズはまだできていないので、別の場所)に引っ越す準備だったのかもしれません。 人事事務担当の男性が出てきて、10分ほど話し、雇用条件などを確かめて、あとは私の方から、入社するかどうか返事をすればよいとの、あまりにも拍子抜けする結果でした。おそるおそるの社会復帰はこうしてあっけなく成功したのです。 お給料は○○万円(年収360万円です)、社会保険あり、週7休、ボーナスなし、勤務時間は9:00から18:00ということでした。 ただし、勤務地は近所ではなく、電車を乗り継いでいくZ区でした。空きが出たら、近所に代えてもらえないかと一応希望を出しておいてからA社に働くことになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.07.29 16:36:55
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