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皆様お久しぶりです。
久しぶりの日記なのに、長文ですみません。お暇なときにゆっくり読んでください。 コムスンが事実上、介護事業がつづけられなくなるそうです。 私のケアマネデビューはコムスンでした。なんと3ヶ月でやめたのですが、我慢のない小母さんだ・・。 私の力足らずが大きな原因です。 右も左も判らない主婦兼自営業手伝いの小母さんが資格を取れたからって、すぐに50人のクライアントを抱えることに無理があったからです。 すぐに別の会社がみつかったので、そちらなら無理をせずできると思い、転職しました。 しかしコムスンには思い入れもあります。そうやって資格を取ったばかりの人を重任するので、志は高いが技量がそこまで伴わないという方が多くなります。でも熱い心や高齢者に対する優しい眼差しは強い人が多かったと思います。 他事業者に移っても、わたしはコムスンをよく利用しました。他の事業所なら断るような事例も受けてくれます。そこが大きな魅力です。 技量はすこしずつ折に触れて指し示していけばよいと思うので・・。 介護保険は見切り発車で施行されました。何故そのように急いだのか・・・。 ケアマネとか、カタカナ言葉が多いですが、介護保険法の草案はカタカナ言葉だったのです。 ところが施行前の小泉厚生大臣が、間際になってカタカナ言葉は駄目だ、もっとわかりやすい言葉にしろ・・とケアマネージャーを介護支援専門員などと、もっとわかりにくい言葉に替えてしまいました。そのような、どたばたがありながら、1999年度は介護保険制度を国民に周知する作業にとりくまなくてはなりませんでした。この費用はどこから出すのか・・。そこで思いついたのが、まず民間業者を募ることです。 そこでコムスン登場です。 コムスンはグッドウイルグループ傘下ですが、初めは北九州で夜間の巡回介護を多分最初に日本で始めた会社でした。GWGはこの会社を吸収合併し、本拠地を東京に持ってきました。 そのころの夜間巡回介護は2人体勢で車で巡回していました。 介護保険の蓋をあけてみると、報酬は低く設定されていますので、1人で廻るようになりました。そのことで、いろいろ問題は想定されましたが、今のところ大きな問題は起きていません。それが救いです。 で、施行前の1年間はコムスンが全国展開でTVCMを流し、チラシを配り・・私たちに介護保険が始まればバラ色の老後と介護で苦しむ家庭がなくなるという幻想をまき散らしました。当時の厚生省の代わりにです。あれだけCMを打てば幾ら費用がかかったでしょうか。 当初、介護事業は8兆円産業と言われていましたので、コムスンはそこに飛びついたのでしょうか。銀行も8兆円産業なのでお金を出してくれました。 その資金力でコムスンは日本中に事業所を展開しました。事業所だけ借りて開業していないところもありましたが、事業所としての認可は受けていました。 けっきょく開業できないまま閉鎖された事業所も多いです。現在はサテライト方式になっています。ケアプランセンターの下に訪問介護事業所を5ヶ所ぐらい起きます。事業所の数はもっとかもしれませんが・・。 ヘルパーさんは異動が多いです。主婦のパートとして時給が高いので始めてみます。時給は高いですが実働時間ですし、毎日フルに仕事をいれるということはできません。 ですから苦労が多い割に収入は少ないのです。 コンビニなどで決まった時間にフルに働いた方が安定していると思います。 それでは、ヘルパーの絶対数が少なくなっていくでしょう。しかしコムスンは介護事業の先駆者として事業所をそう簡単に閉鎖することはできなかったでしょう。 介護事業を続けると言うことは意外と大変なことです。 介護保険報酬は伸び悩みますし、費用の使いすぎだと厚労省も政府も思っています。もともと福祉の時代はすべて税金で賄い、国民は介護保険料を支払っていません。それでもやってこられたし、以前の方がサービスは充実していたのではと思います。 では何故、このように介護保険事業が破綻したのでしょうか。 福祉の時代は、サービスを受けたいという人が当該地区の窓口に頼みます。するとその人にあったサービスを検討して措置が行われます。措置というのはサービスをしてくれると言うことですが・・。措置という言葉は失礼な感じがします。 私たちは人の世話にはならない、問題は自分で解決したいと思っているようです。家庭のことは家庭内で解決したい。他人に入って貰いたくない・・。 また、この程度のことで人に頼んだら申し訳ないと思っています。 ですから福祉の時代は窓口に行った人だけがサービスを受けられるわけです。 そして必要なだけ受けられるので、至れり尽くせりとなります。 介護保険の方は40歳以上の全ての人が保険料を支払っているので、サービスを受けるのは誰でも当然の権利となります。ですから自分でできることも人に気楽に頼めるようになりました。初めはなかなかこの考えは浸透しませんでしたが、隣の家もサービスを受けている。じゃあ家も、と権利を使い始め、簡単な掃除や買い物などに介護保険を使うようになりました。施設サービス(ショートステイ、デイサービスなど)や施設入所の希望者も増えました。 それで介護保険がパンクしかかっていると言ってもいいかもしれません。 福祉の時代なら多分頼まないサービスです。また介護事業所も簡単な作業をこなす方が収入も上がるということもありました。 それで、見直しで介護訪問事業が厳しくなってきたのです。デイサービスなども締め付けが来ています。 施設ケアも介護報酬が下げられています。しわ寄せは働いている人と利用者です。 それでフィリピンからヘルパーを呼ぼうという政策も始まりそうですね。準介護士でしたっけ・・。身体介護は介護士に限るなんて締め付けておいて、それでは介護士の絶対量が足りなくなる・・。で、この泥縄式というか・・、正直私は恥ずかしいです。フィリピンの人は給料が安くても、キツイ仕事でもやってくれるという考えが下に流れているからです。 国民自身が不必要なサービスを当然の権利として受けるために、自分の首を絞めているとも言えますが、こんな国民に誰がした・・と私は言いたい。 介護保険は悪法です。言い切ります。故郷納税も何だろうと思いますが・・。 コムスンは国の甘い言葉にのせられ、CMを流しました。国はこれで介護保険を周知させる広告料が少しですんだはずです。 バブルがはじけて景気低迷していました。 空きが目立つテナントビル、増える失業者・・。 介護事業が始まり失業者の受け皿にもなると国は思ったはずです。テナントビルの秋も埋まるし・・。仕事がないなら介護事業にいけと言われました。収入が少なくて家族が養えないのに、仕事があるだけ良いだろう・・と言わんばかりです。 さて、少し景気が上向いてくると介護事業はそれほど美味しくないことに気づきます。コムスンにしてみればちょうどよい時期だったかもしれません。事業の抜本的見直しがはかれるからです。これで人員整理もできるでしょう。収益のでない事業所を閉鎖できます。 長くなってしまいました。 言いたいことが判って貰えないかもしれません。 介護保険は国民の懐から金を掴み持っていきながら、先読みを誤まった法律です。言ってしまえば詐欺に等しい・・。 すなわち簡単なサービスに沢山の人が飛びつき、本来の介護の意味を失ってしまう仕組みだったのです。 ここは新しく仕組みを考え直す時期に来ていると私は思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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