ほぼ毎年この時期になると行福寺を訪れている。
仕事に行く途中に寺の前を通るのだが
TOYOTA渋滞に巻き込まれている最中だし
反対車線にあるので朝に行くことは滅多にない。
一度通勤途中に訪れたことがあるのだが
朝の寺というのは清々しくて空気も爽やか過ぎて
侘び寂びが全く漂ってなくて写真を撮る気になれず
しかも通勤方向への車線に戻るにも車が途切れず
やはりここは夕方が似合うなと感じたのだった。
夕方なら仕事が早く終わった時に簡単に立ち寄れる。
4日前の水曜日の夕方に枝垂れ桜を見に行った際、
桜を見るよりも先に向かったのは椿の木だった。
門を潜って左側に手水舎(ちょうずや)があり
その脇にピンクの椿の花が溢れ咲いている。
この花を正面から見ると仏教の曼荼羅に似ているから
僕は勝手に曼荼羅椿と名付けている。
ちなみに曼荼羅はチベット語では「めんでる」と呼び
完全な円という意味だそうだ。
この光景を見ると小宇宙の集団を見ている気分になり
何気ない日常の「花が咲く」という何でもない現象が
宇宙の中の一惑星上に繰り広げられている奇跡に感じて
椅子でもあれば1日中眺めていても飽きないだろうと思う。
いや、1日中どころか蕾が出来て膨らんで花が咲き
朝陽を浴び夕陽に照らされ夜露に濡れてを繰り返し
いずれ朽ちて地面にポトリと落ちて腐っていく過程を
感動を持続したまま見続けられるような気さえする。
他の花や他の椿にはそんな感覚は感じないのだが
この曼荼羅椿だけは次元が違うものを感じるのだ。
行福寺の住職がこのブログを読んだら喜ぶだろうな。
住職、この椿を剪定する時に挿し木用に枝を下さい。
いや、でも同じ椿でも自宅にあったら有難みがないか。
この場所に咲くからこその曼荼羅椿なんだろうな。
花と空気感が合致した時に更なる感動が生まれるんだろう。
夕暮れ時の行福寺は俗世間から隔離されている。