カテゴリ:今が旬のマグロを求めてBandaへ!
このゴルフボールより一回り大きいナツメグだが、 ここネイラ島にしかなく、その位置が永い間なぞに包まれていた
ところがインドでは スパイスというよりアルユーベーダの薬効として 珍重されていたというし、 15世紀にはヨーロッパでも、塩漬けの魚や肉の 防腐剤として純金と同じ価格で 取引されていたというが 誰がどうやってインドやヨーロッパに ナツメグを運んでいたのか・・・
その謎は調べるうちに判ってきた・・・
鍵はスゥラベシのアンボン、中国、オスマン・トルコだった。 僕たちがバリ島から先ず訪れた スゥラベシのアンボンは交易の港として 古くから有名で丁子やナツメグを求めて 中国の交易船がやってきては買い付け それをインドのカルカッタのインド人商人に売り、 それをオスマン・トルコが陸路はるばるヨーロッパに運び 財をなしたという。
それを苦々しく見ていたのが イギリス、スペイン、ポルトガル、オランダの列強
羅針盤、造船技術の発展にともない なにもオスマン・トルコだけに ぼろ儲けさせておく手はないと こぞって航海に出始めた
これが世に言う大航海時代の幕開けだった!
1492年 コロンブスはインドに香辛料を求めて出航し バハマ諸島に到達したが そこがインドと疑わなかった 香辛料探しは失敗したが 新大陸発見という地理的発見が残った まさに、けがの功名。 そして1498年 バスコ・ダ・ガマは喜望峰を回り インドのカルカッタに到着したが 東方貿易を独占していたイスラム商人の 激しい抵抗をうけたものの胡椒を持ち帰る。 地理的には、インド航路の発見である
1519年に出航したマゼランの船隊は 世界一周を達成し 地球が丸いことを証明したものの ナツメグは見つからなかった・・・
その少し前の1511年 ポルトガルがついにネイラ島にたどり着き ナツメグを発見!
さこからネイラ島の殺戮、戦争、陰謀の歴史が 始まった・・・
バンダ諸島とニューヨークはマンハッタンとの関係は・・・?
そして日本人が恨まれている理由とは・・・? そこには今まで知らなかった 衝撃的な事実があった・・・
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