|
カテゴリ:音楽(フォークソングの話)
今日は秋晴れの気持ちの良い天候です!! アメリカの歴史の大きな転回点は「南北戦争」・・・独立戦争の時のアメリカ生まれの歌は半分がイギリス(メロディ)で半分がアメリカ(歌詞)でしたが、南北戦争の直前、合衆国中が緊張を孕んでいたときに、詞も曲もアメリカ生まれの音楽ができていました~~~「ミンストレル・ショー」と「黒人霊歌」ですが、黒人の歌を抜きにしては生まれなかったと言われています!! 「ミンストレル・ショー」は、白人が黒人に扮装したもの・・・ミュージカルやヴォードビル、の先駆けです~~~フォスターは南部に行ったことはないと言われていますが、ミンストレル・ショーは観ていて^それ向けの歌をつくったのが歌を作るきっかけとなったらしい!! 黒人は未開の人種ではありません、ヨーロッパ人よりも高い文化をもって王国を築いていました(アメリカに連れられてきたのは奴隷としてでした)・・・白人たちは巧妙に、南部の農園に別々の言葉を使う黒人たちを集めるようにし、黒人同士が話しをする機会が少なかったので、主人たちの言葉「英語」だけ使わなければならなかったのです~~~奴隷開放後といっても、人種差別はなくなりませんでした!! 職業にありつけず、路頭に迷った黒人たちは北部の工業地帯へ向かい始め、工業が発達するにつれ^昔のように仕事をしながら唄う歌は「黒人専用刑務所内」だけになりました~~~ブリズン・ソングやチェイン・ギャング・ソングと呼ばれる「ワーク・ソング」です!! 黒人のなかには商人として成功し、以前よりも増しな生活をする人もいました・・・黒人街の黒人専用教会には、昔のニグロ・スピリチュアルに代わり、ダイナミックな宗教歌「ゴスペル・ソング」が唄われるようになりました~~~宗教心厚い黒人からは罪深い音楽として、忌み嫌われた音楽に「ブルース」があります(スピリチュアルが集団の歌に対して、個人の歌でした)!! 「ブルース」のなかにはワーク・ソング、ニグロ・スピリチュアル、その他様々の黒人の民族音楽が流れ込み、いつまでもなくならない「人種差別に対する呪いや苦しみ」、それに打ち勝って生きていくためには欠かすことのできなかったウイットやユーモアが溢れていました・・・「黒い魂の叫びブルース」は単にジャズの一要素であったばかりでなく、アメリカの音楽に絶えず活力を与え続けていました!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.09.26 19:43:16
[音楽(フォークソングの話)] カテゴリの最新記事
|