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私:久しぶりに、3泊4日のわたり旅をしてきたよ。
それで、ブログのアップが遅れた。
旅先で君と電話して書いていたブログ3日分を今日まとめてアップするよ。
この本の著者藤原和博氏は、リクルートの民間企業出身で東京の和田中学校校長になった異色の教育者だ。
川端裕人氏は作家であり、子どもを持ち、PTA活動もしているという立場から、どちらかというと聞き手として登場している。
A氏:バカ親というのは、どういう親かね?
私:ケースを13あげている。
ケース1は「うちの子のために、サッカー部を作ってくれ」という親だね。
しかし、部の顧問は先生が必要だから、教育の場である学校は、教務中心に教員配置をするので、部活を優先にできない。
A氏:顧問の先生なんか必要ないんじゃないの?
私:単なる遊びと違い、部活となるとケガなどが発生したりしたときの管理が問題になるね。
「たかが部活」というわけにいかない。
それにある程度、生徒数が集まる必要があるね。
子どもにとっては、望む環境をすべて整えてあげたほうが、よいかというと、肝心なのは集団のなかでもまれることで、強くなろうというチカラが引き出されるということだという。
「子どものためになるか」という視点から考えるべきかね。
ケース2は、ある子どもが上履きを忘れたので、靴下のまま、学校の廊下を歩いていたのをたまたま、PTAに来た母親が見て「学校はなぜ、スリッパを貸さないのか」とクレームあったというものだね。
A氏:先生はこらしめのためにスリッパを貸さなかったのかもしれないね。
私:和田中では、あらかじめサイズの違う上履きを何足か買いそろえてあるという。
月曜の朝などは、必ず、1人か2人は借りにくるという。
その理由は、まず、衛生の問題で、靴下のままでトイレなど行っては問題だね。
次に、安全の問題で靴下で歩いて転んでケガをしたら子どものためにならない。
その点、スリッパは滑りやすいからなお危険だね。
A氏:こないだ、相撲部屋で竹刀でのしごき問題があったが、こらしめのための手段が安全や衛生面で問題を起こすような方法では、教育の方法としては子どもや弟子の真の成長を考えていないのだね。
母親もスリッパ履きなどという家庭の延長のように学校生活を誤解しているね。
私:ケース3は、校則を守るのは生徒の自由だから、守らなくてもいいという親だね。
A氏:自由と責任のバランス関係かね。
私:藤原氏は服装や髪型などを自由にすると、中学生時代は「カッコよくしたい」「カワイイと見られたい」ということが気になる年頃だから、それに時間をとられるという。
校則があるとそんなことを考えなくて、「学習」と「部活」という、中学生が学校でやるべきことに集中できるメリットがあるという。
「自由であること」イコール「居心地がよいこと」では決してないという。
ケース4はクラス担任の先生の「アタリ」「ハズレ」だね。
新任の先生は親が嫌い、「ハズレ」と思う。
藤原氏は「ハズレ」の担任にあたったことが、子どもの人格形成に悪い影響をあたえるかどうかは別問題としているね。
A氏:中学では、教科別に先生が違うので、多くの先生に接するからあまり問題がないのではないの?
私:傷を受けることもない、試練もない環境では、子どもの成長は停止する。
だから、すばらしい先生にあたることが、ほんとうに「すばらしい」か疑問だという。
すばらしい先生の場合、生徒の間に絶対的な「支配-被支配」の関係に陥ることがあるからだという。
A氏:「滝川コミューン」1、2の片山先生がそうだね。
私:ケース5は、親が教育を商品の選択のように考えていることからくる問題を扱っているね。
藤原氏は、これを「消費者市場主義」と呼んでいる。
明日は、そのケースから考えよう。