街場の教育論
私:水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」から知的街道として、内田樹氏の「街場の教育論」の第10章国語教育はどうあるべきかにリンクしたね。
「街場の教育論」は300頁くらいの本だが、この第10章はそのうち、20頁くらいのものだ。
しかし、「日本語が亡びるとき」に述べられていたように、学校教育で夏目漱石などの近代文学を学ばせるべきだという考えをさらに発展させている点に興味を持ったね。
もちろん、水村氏も、内田氏もお互いに引用しあっているわけでなく、俺が偶然に結び付けたに過ぎないがね。
内田氏は、今の日本の国語教育で、一番軽んじられ、かつ、一番重要なのは「音楽性」だということだ、と言っているね。
A氏:教科書に掲載されている現代文、評論文は音楽性がないというわけか。
それに対して、古典や漢文は音読に堪えるというわけか。
私:氏は、逆で、古典や漢文の音読で、日本人の音感は形成されてきたという。
特に、昭和の中頃まではね。
日本語は、「漢字」という「表意文字」と、「かな」という「表音文字」の合成という特殊な構造を持っている。
バイリンガルだね。
すでに、養老氏が、「日本語の脳」は特別な使い方をしていると言っているね。
A氏:言語にはそれぞれの音楽性があるんだね。
私:声楽専門の斉藤言子氏は、オペラはイタリア語でないとダメだという。
英語でオペラをやると歌いにくいそうだね。
そのように、どの国でもその国語固有の抑揚とリズムがある。
A氏:日本語には、「表意文字」と「表音文字」を組み合わせたリズムがあるということか。
昨日の朝日新聞は日曜なので、いつものように、書評がならんでいるたね。
その中に、「漱石の漢詩を読む」(吉井由吉氏著:岩波書店刊)の書評があるね。
それによると、著者は敗戦当たりを境にして、漢詩を読み書く伝統が途切れたことを嘆いているという。
![](https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F0002%2F00023721.jpg%3F_ex%3D128x128&m=http%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F0002%2F00023721.jpg%3F_ex%3D64x64)
漱石の漢詩を読む
私:漱石は漢詩がうまいことでも有名なんだがね。
A氏:著者吉井氏は「日本語は世界で一番バイリンガルな言語なのではないか」と述べ、「和文脈」と「漢文脈」が交差されることで生み出されてきた言語だという。
その交差が失われた結果、今日の言語的危機を招いていると指摘しているという。
私:これもこの知的街道で読んでみたいと思うね。
俺たちの世代は、まだ、漢詩を中学で読んでいたけれど、それが最後だろうね。
その後、俺も、すっかり、忘れ、今日に至っているね。
伝統を重んずる日本国民としては、後半は失格な人生だね![しょんぼり しょんぼり](//plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/a004.gif)
明日は、さらにその背景にふみこんでみよう。