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知的漫遊紀行

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Ryu-chan6708

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2010.12.07
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:このスナック談義シリーズはちょっと年を飛び越して、1990年頃のことになる。

A氏:君はカラオケを始めたのは、1980年だというから、もう10年立つね。 

:スナックでカラオケをするのは、出張のときだから、その10年間でいろいろなところに行っているね。
  その中で中国地方に大手企業のある事業部3年近く行ったことがあるが、これが俺のスナックでのカラオケ全盛期だね。

  大阪のK社長カラオケをつきあわされて、カラオケを知ってから、約10年になったが、この間、次第にカラオケに浸り、この事業部に通った頃は、毎週のようにその地方都市のスナックで、一晩10曲以上は歌っていたよ。

A氏:どうやってそのスナックを選んだの?
  よくカネが続くね。

:いや、最初、その事業部に行った夜、夕食を誘われ、その後、2次会で若い人が連れて行ってくれた小さなスナックだったんだね。    
  若い人の行きつけのスナックだから安いね

  ところで、この事業部長のS氏は、当時、まだ、40才台の若手部長だった。
  営業出身でお客とのお付き合いが多かったせいか、これがまた、カラオケメチャクチャにうまい。
  この人はその地方のいろいろなスナックに連れて行ってくれたね。
  この場合は、部長のおごりだから、高級なところもあったが、俺一人ではそういう高級なところは行かなかったね。
  彼は、石原裕次郎の「ブランデーグラス」が十八番だった。
  しみじみと歌う。

   この人は、他にあまり持ち歌がなかったのか、いつもスナックに行くと、歌うのはこの歌だけだったね。

A氏:「夜の銀狐」の場合と似ているね。大笑い

:あるとき、この事業部のカラオケ好きな若手の1人と、一晩、スナックで何曲歌えるか試してみようということになった。 

A氏:すごいバトルだね。大笑い

:夕食後、いつもの小さなスナックに行き、7時半頃から歌い出した。
  その夜は、その店の客は最初、われわれだけだった。
  途中、3人くらいの若い一組が来たが、あまり歌わなかった。
  だから、そのスナックカラオケはわれわれ2人の貸切のようになったね。

  空いているスナックで、交互に歌い、2人で25曲、合計50曲歌った。
  もう、12時近くになっていた。
  ついに2人とも声が枯れて出なくなってきた。大笑い

A氏:よくそれだけ、歌を知っていたね。

:この1990年頃が、俺のカラオケ遍歴、最高の頃だったね。
  持ち歌100を超え演歌はもとより、若い人の歌まで挑戦したよ。
  今から思うと、その頃、仕事が厳しかったが、知らず知らずのうちに、その過酷なストレスの解消になっていたのだと思うね。

  今もその頃の歌は覚えているが、出張がほとんどなくなるにつれ、スナックに行くこともなくなったから、今はせいぜい年1回あるかどうかだがね。
  それも1回ではせいぜい数曲止まりだね。
  その中に「ブランデーグラス」が含まれているのはもちろんだがね。

 






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Last updated  2010.12.07 09:32:55
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