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私:玄武岩氏は、日本と韓国は、自由と民主主義、基本的人権などの価値を共有しているというが、実は、こうした価値をめぐって互いの認識が揺らぎ、それが両国のあつれきを生んでいるとして、別の視点で日韓和解のカギを提案している。
A氏:昨年朴槿恵(パククネ)前大統領の退陣を求める「ろうそく集会」で「大韓民国のすべての権力は国民に由来する」という憲法1条の歌声が響き、この集会を背景に文在寅(ムンジェイン)大統領は今年5月、生まれ、直接民主主義的な「革命政権」だと玄武岩氏はいう。 一方、日本国憲法の前文は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」するとし、間接民主主義を理念としており、日本は「戦後民主主義」、韓国は「反独裁民主化」というように、民主政治を具現してきた歴史的経験もそれぞれ異なるというわけだ。
私:玄武岩氏は、韓国の直接民主主義を支える特有の流儀が、「真正性」で、これなくして韓国の政治を理解することはできず、つまり、政治には、信念と正義に基づく責任倫理が求められる。 政治家は、単なる修辞にすぎない言葉を発するのではなく、責任倫理に堪えうる真摯な行動をせねばならず、韓国ではそれが政治における「真正性」と考えられ、政治家にとって欠かせない徳目となっているという。
A氏:それは、日本でも同じでスキャンダルで政治家が党籍を離脱したり、議員辞職することもある。 玄武岩氏は、文政権の直接民主主義的な政治は、外交にも及ぼうとしていて、文大統領は2015年の「慰安婦」問題に関する日韓合意について、「国民の大多数が情緒的に受け入れずにいる」と指摘し、見直しの可能性を否定しないが、これは「真正性」に裏打ちされた政治家の行動として韓国の人々が望むものだという。
私:しかし、日本では世論に迎合するものとして批判にさらされ、日本の政治は、歴史問題として内政に収まらなくなった「真正性」をどう受け止めるのだろうかという。
こうした歴史問題は、日本帝国主義による朝鮮支配により起き、それは国家による暴力と戦時動員の帰結であり、戦後、国家の境界に阻まれた旧植民地の戦争被害者に対する補償と被害回復の問題と考えられる。
「真正性」は韓国自身にも向けられ、「慰安婦」問題は、かつてベトナム戦争に派遣された韓国軍が、現地で非武装の住民らを虐殺した事件を呼び覚ますきっかけにもなる。 韓国側は、自らの加害の過去に目を向ける省察と、その被害の声への応答が求められる。
A氏:「真正性」を突き詰めると、歴史問題を日韓が対立する国家間の問題から、戦時動員をめぐる国家による暴力と戦争被害者との対立関係に読み替えられる。 「真正性」の追求が、国民に犠牲を強いる国家に対抗し、国境を超えて国家の暴走を防ぐ論理となるとき、日韓の和解は揺るぎないものとなると玄武岩氏はいう。
私:「真正性」という言葉の意味が抽象的でよく理解できないが、韓国軍のベトナムでの非武装の住民らを虐殺した事件は、韓国民はどのように「真正性」により、信念と正義に基づく責任倫理が求めているのかが、不明だね。
朝鮮戦争のとき、戦時動員の米軍には「慰安婦」問題の「真正性」追及はあったのか。 日本人の「慰安婦」もいたことの真正性」追及はあったのか。
戦争や植民地化というのは、国家による暴力と戦争被害者との対立関係は必ず、発生し、それは、日本固有の問題ではない。 一方的でなく、戦争や植民地化による国家の暴走問題は、日本にも韓国にも発生し得るという、「真正性」の本質を日韓両国が理解し、平和を追及することが、日韓の和解につながるのではないかと思う。
玄武岩氏は、日本が韓国の植民地支配に「真正性」追及をしていないというのだろうか。 戦後、日本は韓国に対し長年に渡り、経済援助をしたり、合意にこぎつけている努力をしているのに、自国の「真正性」を理解しない韓国国民の世論に迎合するのは、現大統領も信念と正義に基づく責任倫理の 「真正性」を追及さるべきだね。
韓国の歴代大統領の終わりがよくないのは、「真正性」を追及されたせいなのかね。
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Last updated
2017.10.08 22:16:59
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