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Ryu-chan6708

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2018.08.09
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山極寿一氏は、ゴリラが専門の霊長類学者

 

 山極氏は、この春、「人間とは何か」という問いに、AIとゴリラと仏教の視点から考えるシンポに参加。

 

大乗仏教では、世界を構成するあらゆるものは「縁起」によってつながっていると考え、一見、AIによるネットワークの拡大と似ているが、AIがデータ化された情報によってつながっているのに対し、仏教は「直観」により世界を把握しようとする。 

 

たとえば、科学は人間の身体や心の動きを図や画像、数式によって捉えようとするが、それは生物の一側面に過ぎない。

 

生物は本来、仲間や他の生物の動きを様々な「感覚」を用いて「直観」的に予測し反応しており、そこに情報には還元できない認識力や生物どうしの関係が存在する。

 

宗教学者の中沢新一氏は、言葉や自然科学など、事物を分類して整理する「ロゴスの論理」に対し、事物を独立したものとして取り出さず、関係の網の目の中の作用として認識する「レンマの論理」が、人間に新しい世界観をもたらすかもしれないと述べている。

 

「レンマの論理」に対応するのが西洋の「ロゴスの論理」A」か「非A」か、「善」か「悪」か、というふうに、常に二者択一。

 

A「レンマの思想」は、大正から昭和初期に発展した「西田哲学」や、今西錦司氏の「自然学」にも反映されているもので、現代の科学は時間を空間的に理解しようとするが、生物はその二つを同時に「直観」的に認識し、それが生命の流れを感じることだと西田幾多郎氏は言う。

 

 今西氏は、この世界の構造も機能も一つのものから分化したものであるから、生物は互いに理解しあい共存する能力を持っていおり、その生命の認識や相互作用、生物どうしが織りなす全体像を、現代の科学技術はつかむことができないという。

 

AIも「レンマ」もつながりを重視することに変わりはないが、手法が違うので、結果はまるで異なったものになる。

 

情報によって効率的な暮らしを与えてくれるAI社会は、個体がデータに置き換わり差別や格差を広げる危険をはらむ。

 

一方で「レンマ」は生命のつながりや流れに目を開かせ私たちに新しく生きる目的をもたらしてくれるかもしれない山極氏は指摘する。

 

AI社会になってもブログ「死を考えること 人に優しい社会への一歩」でふれているように「レンマ」「宗教意識」は重要なようだね。






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Last updated  2018.08.09 20:32:53
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