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Ryu-chan6708

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2018.08.23
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作家の鴻上尚史氏は、著書「不死身の特攻兵、軍神はなぜ上官に反抗したか」、「特攻」を9回命じられ、9回生きて帰ってきた陸軍の操縦士・佐々木友次氏に話を聞き、彼の生き方を描いたという。

 

 「特攻」は、軍幹部ですら、「統率の外道」と指摘したとされる異常な作戦であったというが当時、これに突き進んだ空気感があったという。

 

 鴻上尚史氏は、陸軍の操縦士・佐々木友次氏のことで「まずその事実に驚きました。ただ帰るだけでなく、爆弾を落として船を沈めているのですが、参謀や司令官たちはまったく評価しない。21歳の若者に『次は死んでこい』と言うわけです。『爆弾を落として船を沈めればいいと思います』と佐々木さんが言っても、『爆弾を落とした後に体当たりしろ』と言う。死ぬことが目的になっているのです。これだけ言われても、なぜ9回とも帰ってこられたのかを知りたかった」という。

 

 帰ってこられた最大の理由は、鴻上氏は、操縦士・佐々木友次氏は、上官にいくら文句を言われても、パイロットだから飛び立てば一人なわけで、精神の自由を保てたのだと思うといい、「飛ぶことが好き」なんて考えは、当時の軍隊のような超ブラックな組織ではまず言えないことで、日本型組織は、少数の異論を持つ人に暗黙のうちに多数意見と合わせるよう求める同調圧力が強くこれに対抗する最も強力な武器は、「本当に好きだ」という気持ちを持ち続けることだと思うという。

 

A氏若者たちは自ら「特攻兵」になったのは、上官が隊員を並ばせて、「志願する者は一歩前に出ろ」と言い全員が出るまで待ち続けた例、「行くのか行かないのかはっきりしろ」と突然叫んで、全員が反射的に手を挙げた例もあったといい、好きでなったとは言えない状況だったという。

 

 志願という名の強制、命令だったのは明らか。

 

 命令した側は自分たちの責任を明確にしたくないので、「我々が非難されるのは甘んじて受け入れるが、国のために散った若者を馬鹿にしないで欲しい」という、実に卑劣で巧妙な言い逃れをしていると鴻上氏は指摘し、「特攻」を命令した側と命令された側を、ひとまとめに「特攻」と呼んではいけないという。

 

 「特攻」を賛美する論調が近年、目立ち、特攻兵が「ほほ笑んで自らを犠牲にして散っていった」のようなわかりやすい物語はどの時代でも受け入れられやすいが、その裏に本当は何があったのかを伝えていくのも、大切な仕事だと思うと、鴻上氏はいう。

 

「特攻」を生み出した日本社会のあり方は変わったかというと、日大アメフト部の選手が悪質なタックルをした問題の構造が、「特攻」の構造とあまりに似ていて、怒りを通り越してあきれたと、鴻上氏はいう。

 

指導者側は選手が自発的にやったと言い、選手側は指示だったと言い、ただ選手は従わざるを得なかったわけで、僕らは同調圧力の強さの中で、つい忖度してしまう我が国民性は共通。

 

その国民性は、日本の文化の奥底には村落共同体を守ろうとする意識があって、これを壊そうとするのは天災ぐらいで、天災にはあらがってもしょうがないと、与えられたものを受け入れ、現状を維持することが一番重要なんだという文化が根づいているのだと、氏はいう。

 

しかし、共同体は悪ではなく、良い面もあって東日本大震災で壊滅状態だった道路の大半が1週間で通れるようになったのは共同体が機能した例

 

しかし、鴻上氏のこの著書「不死身の特攻兵」は、最初は歴史好きの人が、その次にサラリーマンが買うようになり、そのうち女性も買うようになりネット上では「PTAと全く同じ」という反応があり、最近は高校生や大学生が「これって俺たちのコーチの話じゃん」と反応していて、日本このままではいけないと思い始めている人が、増えてきていると、鴻上氏は感じるという。

 

戦後、高度経済成長期やバブル時代を経ても、「世間」はなかなか変わらなかった

 

豊かになることに向かいこの国は進んできたけど、バブル経済の崩壊後、失われた20年が来て、我々は今、ポジティブに言えばどこに向かうべきかを探している時代で、ネガティブに言えば喪失した時代。

 

A一部の人は、世間の人々がみな仲良く助け合っていた、古き良き伝統ある日本に回帰することを目指していて、鴻上氏は、それを「世間原理主義者」と呼ぶが、「世間」と呼ばれる共通の価値観で生きていく前提は既に崩れているのに、それを取り戻そうとすると、同じ価値観に染まらない人たちへの排斥が始まり、それがLGBTの人は「生産性がない」という驚くべき発言につながるわけで、世の中が多様になる流れは必然なのに排斥しても何も始まらないはずだという。

 

 「生産性」というような視点でしか語れない政治家がいる一方で、すぐに抗議デモが起こるが、これは、両者の分断が進む危険性もはらんでいておそらくネットが普及した影響が大きく、新聞がメディアの一番手だった時代は、自分が読みたくないものも目に入ったが今は自分の読みたい文章だけ読んで一生を終えられるようになり、情報が「こつぼ化」しているという。

 

日本の将来に希望があるかどうかについて、鴻上氏は、「最近も政府が2020年東京五輪・パラリンピックの暑さ対策のため、サマータイムの導入を検討すると言っています。導入しなくても、マラソンは朝7時スタートを5時にすればいいだけで、なぜ国民を総動員するんでしょう。いいように忖度する国民なので、目覚め続ける不断の努力が必要です。うかうかしているとえらいことになります。あきらめたら負け。頑張らないと」警告する。

 

 たしかに一億総動員という言葉は、未だによく使われるね。

 

また、一億総懺悔にならないようにしなくては、「歴史を学ぶ」ことにならないね。






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Last updated  2018.08.23 17:13:49
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