コロナウイルス感染者数が高止まりのまま推移して、連日報道されているものの、もはや危機感も薄まってきているような気がする。全国のあちこちでクラスターが発生し、各都道府県ごとに対応が異なっているので動きようがない。人心も荒れてきているようで、新しい詐欺事件や強奪事件も頻発しているらしい。3月に85歳になった大阪の従妹が「長生きしたらいいことがあると思っていたのに、こんなことになってしまうなんて…。長生きするのもたいへんやねぇ」とため息をついていた。この先、どのように世の中が変わっていくのかなんて、誰にも予想ができないだろう。
ソーシャルディスタンスという耳慣れない言葉が生まれ、三密(密集、密閉、密接)禁止という新しいスタイルも確定された。旅行も自由に行けなくなり、帰省や他県を跨ぐ移動も禁止されることもあり、買い物さえもできるだけひとりで行くようにとか、できたらネット注文でという有様である。当然のことながら、会食や飲み会はできない。外食ができないというのは結構つらいと思う。私も仕事に行かなくなった2月末以来は外で食事をすることはない。7月に30年以上通っていたレストランが閉店されることになり、最後だからと婿が個室を予約してくれて行って以来、どこにも行ってない。八王子に出るのも月に2度くらいで、街に出ても今までのように気楽にレストランに入る気がしなくなっている。
今時はスマホやパソコンなど通信機器の進歩で動画を見ながら話ができるなど、私が子供の頃には想像もできなかったことも可能になってきているが、つい最近まで「スキンシップの大切さ」と言っていたのは何だったんだろう。私自身は独りでいるのが嫌いじゃないので、ソーシャルディスタンスや三密禁止はコロナ騒動さえなければいい傾向だと思っていたが、こんな状態が長く続いたら人間関係が薄くなっていくんじゃなかろうかと心配している。メールやラインが便利だとはいえ、やはり声を聴いていろいろな反応を確かめながら話をする楽しみは他に代えがたいものがある。声を聴くだけで自分が元気になる時もあるし、相手の様子を察することもできるということもある。何より心が動かされる。
昨日は40年来の知人から残暑見舞いが届いた。今こそメールやラインより、手紙とかハガキを書く時だろう。早速返事を書こうと思ってハガキを探したがない。便箋を用意して礼状を書き始めたが、何度も失敗しては書き直し、パソコンで書いてプリントアウトしようかと迷っている。これも自分が退化した証拠である。携帯電話のなかった頃は、大事な電話番号などすべて憶えていた。今はすべて携帯電話に入力して保存しているから、憶えていた番号さえも忘れ果てている。この前、携帯電話が故障して、バックアップしていなかった電話番号が消失してしまい大慌てをした。こんなご時世が続けば人間関係だけでなく、すべてのものとの関係が薄くなっていくのではないかと思っている今日この頃である。
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Last updated
2020.08.15 10:05:53