英語が学びたくなる、「谷間のともしび」によせて
私などは外国語を、67歳のこの頃まで、心から学ぼうとする気持ちがなかったんですが。
義務教育や受験勉強での学びかたは、外からの押しつけられた課題としてあったんですね。
最近になって、一つの私なりの英語の学び方に気づいたんです。
これまで、じつにもったいないことをしてきたと感じています。
そのきっかけは、アメリカの唱歌の「谷間のともしび」という曲なんですね。
たまたま、手元に「世界の名曲・アメリカ篇」CDが残されていました。
この中に19曲がはいっているんですが、そのうちの1曲でした。
この「谷間のともしび」は1930年代に発表されたものだそうです。
この中にあるフォスターの曲は1850年代かと思いますが、
ともに、故郷への想いのこもった歌なんですね。
最初は、英語の歌ですから、何を言っているのかさっぱりわからなかったんですが。
歌詞はついてませんでしたから題名とメロディーだけでしたが、何かひかれるものがあったんです。
ランプとか、小屋のキャビンとか、片言の単語は分かるんですが、
いわば太平洋の中にポツンとある島の様なもので、何を言っているのかわからない。
それでインターネットからこの歌詞の翻訳を引いてみたんです。
そして、分からない単語を、とくにキーワードらしき言葉を辞書で知ったんですね。
praying-祈る、longin-切望する、guide-案内する、roam-さまよう、など。
これで、要所要所の言葉は分かるようになったんですが、
それでも曲は理解できないんですね。
知っているはずの単語ですが、その発音が微妙に違っているので焦点を合わせる必要がある。
さらに単語の問題以上に、文章の独特の表現があるようで、それがわからない。
For the boy she is longin to see
(彼女が長い間会いたいと切望している子ども)
As she rocks in her chair to and fro
(彼女は椅子に座って、前後に揺らせている)
単語ではわからない独特の文章表現があるんですね。
やはり原語と原曲がもつ心に近づくいていくには、単語だけでは足りないんですね。
むかし、ビートルズなどの曲を聞いた時、こうした努力をやっていた記憶があります。
ただし、ごく個人的な片言であって、
そのようにしてその曲を学ぶことが、英語そのものを学ぶ方法になるとは気がつかなかった。
英語の語学を学ぶことと、ビートルズとは絶縁されていましたから。
でも、人の人情、真実というのは、国か違っても共通性がありますね。
表現の仕方は違いますが、同じ事柄なんです。
しかし、その国の人々の想いは、その表現とメロディーでしか伝わらない。
いわば、形と心が一番一致している曲というものがあるんですね。
それをつかみ取るには、その言葉につうじるしかないんですね。
1930年代と言えば、日本では小林多喜二が殺されたように、文化も戦時統制下に置かれていった。
戦争を翼賛する以外には、文化も表現も許されなかった。取り締まられた。
そんなときに、アメリカでは「谷間のともしび」等が発表されていたんですね。
個人というものの尊厳が、ここにはっきりと出ています。
もちろん、アメリカだって、当時の日本と同様な考え方人たちもいたはずですが。
あとは、くり返し、くり返し、その曲のメロディーと歌詞の表現に親しむようにすること。
すると、スルメをかむ様なもので、じわじわと感じてくるものがあるんですね。
その国で人々の唱歌となった事情が、国民の愛唱歌となったわけが、
少しですが、今の私などにも感じてくるようになるんですね。
感覚的にその曲にひかれていた、そのわけが分かって来るんですね。
ところで、これって、諸外国の文化や言葉を、この固有の尊厳を知るための一つの方法でもあるんじゃないでしょうか。今ごろになって、それを感じている次第です。
もっと若いころにこのことに気づいていたら、
もっと世界の諸国が近くなっていたでしょうけれど。
残念ですが、でも遅かったとしても気がついたことは、さいわいなりです。