カテゴリ:最近考えること
HOW的な生き方を斬る、などとすごいタイトルになりましたが、私は文字通り、今までの生き方を斬るつもりでこれから少し書いていきたいと思います。
まず、HOW的な生き方についての定義です。これは、もうずばり、HOW=いかにして、という方法論に終始した生き方をいいます。これは私の今までの人生がまさしくそうだったのですが、たぶん多くの人はこのHOW的生き方を、特に疑問にも思わず過ごしていると思います。 人は何故生きるのか、とか、自分が自分だと感じる意識はどこから来ているのだろうか、と考えたことは全く無い、という人はたぶんいないと思います。中学、高校、あるいは大学といった学生時代に、多かれ少なかれ、こういうことを疑問に思った経験はあると思います。たとえ覚えていないにしても、ある日突然、自我意識に芽生えたときとか、何かしらそういった疑問は感じているはずです。 ところが、中学、高校と進むにつれて、先生は将来どんなオトナになるかを考えなさい、と盛んに私たちにアドバイスし始めます。目標が具体的であればあるほど、将来の自分がイメージしやすいこともあって、早いうちから、社会で自分がどうやってひとり立ちするかを考えるように指導します。ここからすでに「如何に生きるか」HOW(どうやって)生きるか、という問いが私たちに突きつけられます。 どうやって生きるかということは、確かに重要な命題です。それにいち早く気づくのがオトナへの近道だといっても過言ではありません。どうやって生きるかという問いは、具体的には、どんな職業につくか、将来自分は何になりたいのか、社会に対して何が貢献できるか、何を信条として生きていくのか、自分に最も適した生き方はなにか、という問いがすべて含まれます。 医者になりたい、弁護士になりたい、あるいは政治家になりたい、という学生たちは先生は大歓迎です(爆)。こういう子達は大体が成績優秀で、物覚えも早いし、先生の言ったことはすべてきちんとこなします。しかし、将来何なるかを考えることもなく、進路相談のときに、「先生、先生は何故この世に生まれてきたかを考えた事がありますか」などと質問しようなら、「余計な事を考えないで、いい加減将来のことを考えろ」と言われてしまいます。 私たちの社会では、このHOW的生き方を追求することこそが生きることであり、何故生まれたか、あるいは自分は何者か、という問いは非生産的で無駄な作業、たわごとに過ぎない、と斬り捨てられます。 私はこれからこのHOW的な生き方を斬ろうとしていますが、それにはそれなりの理由があります。その生き方の限界を見たこと、そしてHOW的な生き方は実はちっとも楽しくない、ということを感じているからです。次回はそこを書いてみようと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
April 7, 2012 02:31:17 AM
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