ワタシの死生観
いよいよ年も押し迫って参りました。いつもワタシの下らない戯言にお付き合い下さりありがとうございます。m(_ _)m一年の締めくくりという事もありますので今回はワタシの死生観について書いてみたいと思います。死生観とは、生きること・死ぬことについての考え方や行動の基準となる生死に関する考えとの事でちょっと宗教臭くなるのは致し方ないのでご容赦下さい。そもそもの話であるけど「死」とは何でしょう?ぶっちゃけ、「消えて居なくなる」って事ですよね。一般的には身体も心も消えてなくなるという事だと思います。なので死んだら終わり的な発想になるのも仕方ないと思います。ワタシも長年そう思ってきました。仏教とかでは輪廻転生とかあって死後の世界とか生まれ変わりとかがあると言われていますがそれは「死に対する恐怖を和らげる為の方便」だと思っていました。だって、死んだら身体を構成する体細胞も活動を止めて最後は腐ってしまいます。ここに続きがあるとは思えなかったのです。なので多くの方は自分の生きた証を残したくていろんな事をやります。お金儲けとか子育てとか世界征服も?歴史上の最高指導者が不老不死を求めたのも死んだら終わりだからです。ワタシは商売で身を立てていますが実は科学が好きで実家が商売をしていなければ研究職に携わっていたような気がします。物欲よりも知識欲の方が強く、知らない事を知る事が無常の喜びなのです。なので仕事に関係なく、宇宙や科学的な事には殊更興味があるのです。そんな訳で日夜宇宙的な事や科学的な事に興味があるのですが現実的に知られている事と実際は違うって事に多々出くわす事になるのです。例えば、部屋でゴロゴロしているとします。自分は止まっていると思っていますが実は止まっていません。地球は自転していますので部屋でゴロゴロしていたとしても時速1500km/h つまり新幹線の5倍以上の速度で動いています。また地球は太陽の周りを回っています。この速度が時速110,000km新幹線の360倍1秒にすると秒速600km/h東京-大阪間を1秒で移動する速度です。また、太陽も天の川銀河を回っており天の川銀河も宇宙の膨張によって光速に近い速度で移動しています。宇宙の話を持ち出すときりがないのですが、はっきりしている事はこの世に止まっているものなど何もないという事です。また、人は人、物は物というふうに多くの方は見た目で判断すると思いますが宇宙規模の話になると物質がそのままであり続ける事もありません。原始の宇宙には水素くらいしかなくて、重力によって集まって核融合で光り初めました。(太陽のような星)光りながら重力によって水素が徐々に圧縮され鉄のような物になります。最後は超新星爆発を起こして飛び散りますがその際にさらに多くの物質が生成されます。その飛び散ったチリが集まり固まって地球のような星になります。そんな地球のような星も最後にはブラックホールのような重力の強い星に吸い込まれ分解されますが、ブラックホールジェットによって宇宙に散布されてまた星の材料になります。以後その繰り返しです。ちょうど水が雨が降って溜まって、生物が飲んで、排出して、蒸発してまた雨が降るまた、生物も生まれて、育って、亡くなって、分解・焼却されて、二酸化炭素になって植物になって、動物なって、また死んでいく。と、いう風にこの世の全ての物質は常に変化を繰り返しているのです。・・・・・・・・・・・・・そうなんですよ。この世の全ての物は常に動いていて常に変化しているのです。止まるなんて物はありえない。また、なくなるなんて事もありえないのです。そう考えると、死んだら終わりとか、死んだらなくなるという考え方に疑問が出てきたのです。医学の進歩に伴って医学の常識も年々変わってきてます。昔は脳が臓器のリーダーで身体全てを統率しているという認識だったのですが最近の研究ではむしろ脳は新入りの下っ端という事がわかってきています。脳は全ての臓器の下にあって、各臓器の言い分を聞いて動くだけまた記憶も脳だけにあるんではなくて、各臓器共有している事もわかってきています。ワタシ的な妄想ではここから話を飛躍させて身体の各臓器の中に有る何らかの素粒子的な物にも記憶が共有されていて身体が死んでもその素粒子的な物は残り、新たな身体に入る的な循環をしているのではなかろうかと妄想しています。その素粒子的な物は便宜上「魂」と呼ぶ事にしています。・・・・・・・・・・・・・・・・・そう考えるといろんな事の辻褄が合うんですよ。人には何故、賢者と愚者がいるのか?若年でも賢者がいるし、老人でも愚者がいるのはなぜか?教育? 食事? それとも遺伝子?またオカルト的になりますが幽霊や生まれ変わり、または臓器移植による記憶の受け継ぎなど従来的にはオカルトで片付けられる事例も魂も物質と同じように変化しながら循環していると考えると辻褄が合うのですよ。ってな具合でこんな事を妄想してみると同じ事を仏教が言って事に気が付きます。2500年以上も前にお釈迦様が上記のような事を言ってるんですよ。お釈迦様って何者???ワタシは宗教にハマったとかじゃありませんよ。念のために・・・・・ただ、科学を学ぶと仏教と被るんです。不思議だと言っているのです。だんだん、取り留めのない話になってきたのでそろそろ止めます。ワタシの死生観は仏教に似てきました。そもそも物はなくならない変化はする。人は死ぬけどなくならない、別な物に変化する。そのうちにまた人になれるかもしれない。魂もなくならない、別の身体に入って人生を繰り返す。なので、ワタシ的には人間死んだら終わりなのではなく、別の人生を始める始まりのような気がしています。転職して別の職業に付くというのが一番近い感覚かもしれません。今の人生を一生懸命生きる。できれば命が尽きるまで生きる。身体が死んだらちょっと休憩させてもらって次に行く。そう考えているので、死んだ後の次の人生は何かな?とか思うとあんまり死に対して恐怖感がないのです。まぁ、死生観なんて人それぞれなので各自が勝手に妄想すれば良いだけです。でも、死んでも次があると思った方が楽しくないですか?(;・∀・)それでは皆様、良いお年を・・・・・・・