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テーマ:徒然日記(23383)
カテゴリ:ウォッチング
7分咲きとのことで、天満橋から桜ノ宮までの大川端を散策。平日で高齢者が中心にゆったりとした雰囲気で巡っている。
先日新たに開設した八軒家浜船着場が天満橋たもとに見えたが、歴史をひも解いてみると。 平安時代に京都の貴族は淀川を下り八軒家浜の場所で上陸し、天王寺、住吉、堺を通って熊野路へ向った。 江戸時代に八軒家浜は三十石船の船着場としてにぎわった。熊野詣の中継点であるだけではなく、海路、瀬戸内海を通って讃岐の金毘羅宮への定期船が道頓堀から八軒家浜経由で出ていた。 映画でおなじみの森の石松は次郎長の名代で金毘羅へ旅するが、三十石船の中で“すしくいねえ、江戸っ子だってねえ”という台詞はおなじみである。 鳥羽伏見の戦いで新撰組は政府軍の猛攻を受け大阪へ逃げ、八軒家の京屋に宿泊した。十五代将軍慶喜は戦闘意欲を失くし、大阪城を脱出、八軒家浜から大阪湾に逃れ、幕府の軍艦で江戸へ戻った。 幕末の志士、晋作や竜馬、桂小五郎等も八軒家と伏見の間、淀川をよく往来していたのだ。 八軒家船着場の開港は、決して橋下知事の成果ではなく、前大阪市長らの水の都構想によるものである。淀川両岸の桜街道構想の進展などで大阪がさらに甦ればととても楽しみである。 命あるかぎりさえずろ花の宴 淀川辺花をめぐらす夢ロマン ほんのりと花に染まるや雪柳 見るよりも花に見られる遊覧船 (拙句、後2句は再掲) 写真:左端に見えるのが八軒家船着場。桜も植樹された。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月03日 22時11分27秒
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