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テーマ:本のある暮らし(3300)
カテゴリ:詩情俳趣
明日はオダサク倶楽部の歩く読書会。
主宰の井村さんの案内に 「織田作の住んだ「姫松園」アパート跡~万代池~柴田邸跡~王子神社~北畠神社~織田が一枝と遊んだ丸山通り「松虫花壇」跡~阿倍野霊園辺りまで…庄野潤三&英二や伊東静雄、梶井基次郎、小野十三郎、前田藤四郎、五代友厚に安倍晴明まで?オダサクゆかりの人々や、関係ない人々等の足跡にも触れつつ時空超えて~決して急がず成り行きまかせ&天候日和見ぶらぶらぞろぞろ」と。 ところで、昭和22年の1月に亡くなった織田作は、前年末に「婦人画報」誌(21年11月号)で林芙美子と対談していることが、オダサク倶楽部の仲間の高橋(オダクサ)さんのゲットした古本で明らかになった。 この林芙美子さん、『織田作之助選集』(昭和23年刊)の第一巻の付録で織田作を偲ぶ言葉を寄せているほどで、織田作の良き理解者であったようだ。 織田作には終戦直後の大阪の街を描いた『世相』や『アドバルーン』があったが、芙美子も織田作亡きあと引き継ぐように昭和26年頃の大阪を舞台にした『めし』を書いている。街を店を風俗を活き活き描いている点で両者には共通点がある。 なお、『めし』の内容は女性の権利や自立に目覚め始めたサラリーマンの妻と勤労婦人の揺れ動く気持ちと行動を描いたものであるが、読んでいてたまたま、千日前の歌舞伎ビル5階にあったアルサロの元祖である「ユメノクニ」(「夢の里」の名称で)やダンスホール「勤労者ホール」が登場する。 このユメノクニと、後に余輩がボーイをやった大劇地下サロンは織田作の一番弟子といわれた磯田敏夫さんが支配人をしていたアルサロである点に芙美子、織田作、磯田をとりまく因縁を感じてしまった。 なお、昭和52年7月刊行の「大阪春秋」誌に「おおさか100の日本一」のひとつにアルサロが取り上げられており、ここに勤める女性の 広告には「音楽、スポーツ、文学など一芸の話し相手となれる人」と謳っていたそうで、OLから料理学校、洋裁学校の生徒などが歌舞伎を2回りするほど応募にきたと記されている。 このあたり、上町台地や南の案内人の松村さんが興味を持ってはるテーマに関連するのでぜひ提供したい。 最後に林芙美子の「酒の酔いしれ詩」を紹介します。 http://www.h6.dion.ne.jp/~jofuan/myhaiku_061.htm お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月23日 13時03分00秒
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