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テーマ:本のある暮らし(3300)
カテゴリ:詩情俳趣
美貌の女流俳人の橋本多佳子(1899年~1963年)は、大阪で藤澤桓夫、石浜恒夫や織田作等の参加する俳句結社「浅沢句会」の指導をしていたとはオダサク倶楽部主宰井村身恒さんの情報である。
HPで調べてみると、多佳子は結婚後小倉で杉田久女の手ほどきを受け、大阪に移って(昭和5年)から五代友厚ゆかりの大坂住友合資会社に就職して大阪東区に在住の山口誓子に師事していた。 すなわち、虚子→誓子→多佳子→織田作、藤澤、石浜 という大阪人脈があったのだ。 ところで、誓子は昭和23年から28年まではわが故郷である三重県鈴鹿市の鼓ヶ浦とう伊勢湾沿いの風光明媚な海岸に居を定めており、中学同級生が俳句を誓子か門下に学び県下の俳句賞を獲得したことを思い出す。 また、母も門下の俳句作家に25年間指導を受けていたことが、昨年死去してから知るに至った。誓子がこの地で俳誌『天狼』を創刊したが、このバックナンバーが4年分残されていた。当然ながら多佳子も『天狼』の同人であった。 自註現代俳句シリーズ『山口誓子集』から、好きな句をあげよう。 つきぬけて天上の紺曼珠沙華 (昭16年) 一湾の潮しずもるきりぎりす (24年) 波にのり波にのり鵜のさびさしは (22年) 刈田ゆく電車の裡も刈田なり (39年) もがりぶえとぎれとぎれのものがたり(43年) 湯豆腐が煮ゆ角々が揺れ動き (45年) 酒句では http://www.h6.dion.ne.jp/~jofuan/myhaiku_012.htm 寒造り渚の如く米沈む おでん酒酌むや肝胆相照らす 最後に母の遺句集『鈴風』より 低空のヘリ人見えて秋日和(51年鈴鹿大会で天) 雛は皆一重まぶたよ子も一重(54年) 老いの足遅く穂綿わたに追いこさる(54年入選) 子を抱きて背丈足らざる柿もがす(55年入選) 婚の幕くぐりて燕餌運ぶ(61年中日新聞掲載) 廃線路どこまで続く曼珠沙華(63年) 鴨の池大群なれど争はず(平成3年) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月30日 22時43分31秒
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