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テーマ:本のある暮らし(3300)
カテゴリ:笑いすごそう
地方分権、結構だが、道州制ってなんだ。県の替わりに州政府ができて、市町村への予算を配分する。州政府の中に○○地方(元府県)担当なんて部署ができて、その下の市町村を管理。人口や経済力の大きい地域(府県)や、州知事の出身府県が結局、有利になる?
地方県固有の文化の特色が薄まらないようにして欲しいもんだ。人口2億数千万の米国で48州、1億2千万の日本ならまあ、20府県位に統合したらどうかなあ。 話題のサントリーさん、大大阪創業の企業であったのに、さっさと東京で洋酒文化を演出、こんどはかつてのガリバー、キリンと合併でっか。 大阪出身の開高健がサントリー文化の片棒をかついだが、大阪出身の作家も売れるためにはと東京へ東京へと靡いて行く。残ったのは故・司馬遼さんと田辺聖子さん、藤本義一、眉村卓などだった。 なんでもかんでも東京集中社会をぶっ壊さないかぎり、地方分権なんぞ言っても、地方の力は復権しないはず。 大阪もんの作家といえば織田作が代表格で、少し上に藤澤桓夫(『私の大阪』『大阪自叙伝』など)、下に石浜恒夫(『大阪詩情』ほか。「硝子のジョニー」「こいさんのラブコール」の作詞)がいた。 この大正から昭和の時代においても、大阪出身で東京に出た作家は多かったようだ。そして、故郷、大阪についての作品もかなりあるようだ。 宇野浩二は『木のない都』(昭和11年)と直木三十五『大阪を歩く』(昭和初期)もそうだ。宇野は東京に住んで木の少ない大阪を感じたが、20年ぶりに戻ってあらためてそう感じた。 直木は、20年ぶりに大阪各地を歩くが、先ず大阪梅田駅前は第三流都市の下品さと嘆く、さらに、酒場やキャバレーの女性や客のスケベ性、女性のけばけばしい着こなし、図書館が1つしかないことなど非文化性を指摘してやまない。 また、大阪ほど交通道徳を心得ない市民の多い所は無いと断言しているが、昔からそうだったんだ。 水上瀧太郎は、明治生命の創始者を父にもつ江戸っ子の作家だが、大阪支店勤務時代の下宿の女将、女中、同宿人や芸者と織りなす物語『大阪の宿』(大正14年)を書いている。 ここでも大阪人の抜け目ない金への執着や、あっけらかんな気質が描かれている。「うす汚くなった空の下に、無秩序に無反省に無道特に活動し発展しつつある大阪よ」さらばとの表現で本書を結んでいる。 繊維や鉄鋼などの工業発展が著しい、東洋のマンチェスターと言われるようになる大大阪時代の庶民の世相を窺い知ることができるが、最近の中国の都市なんかを思う浮かべてしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月14日 23時08分36秒
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