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テーマ:今日の出来事(292085)
カテゴリ:ウォッチング
平城京の賑わいを尻目に、奈良の新薬師寺で久しぶりに国宝の薬師如来と十二神将にお懐かしく再会。20年ほど前、奈良国宝展だったかのおりに磯城さんに案内してもらって以来である。
それから、新薬師寺の手前にあった志賀直哉旧宅には初めて訪問。ここには昭和4年~13年の9年間直哉は住み、『暗夜行路』後編を仕上げている。 この春日大社の近くの風光明媚な地に自らの設計で建てたもので、戦後は進駐軍の高官が住むなどして元の形が損なわれていたが、昨年5月に本格的な調査にもとづく復元工事が終了し、建築当初の邸宅が蘇ったのだ。 130坪ほどの建坪で、台所なんかは流し台や冷蔵庫ほか合理的に作られており、ハイカラなサンルームや広い洋風食堂、北向き書斎(夏場使用洋室)に南向き書斎(冬場使用和室)、茶室もあるなど、子ども6人に夫婦、女中が住んでいたとはいえ、部屋数は多い。庭も広く、庭木の種類が多い。子供用プールもある。 文壇のボス的存在だった志賀の邸には多くの作家が集っており、小林多喜二も思想を離れて歓待している。多喜二が拷問死するのはその2年後の昭和8年2月だったが、志賀の日記には「実に不愉快、一度きり会わぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持ちになる」と認められている。 夕方には、映画「殯の森」で主役を演じた宇多さん経営の古書喫茶「ちちろ」にて喫茶し話す。間もなく封切られる2つの映画に脇役で出演されてる。(河瀬直美監督「狛」と中国人の監督による作品ときく) 写真:志賀直哉旧宅のサンルーム お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年05月02日 01時03分58秒
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