カテゴリ:阿波のこと
大坂峠から見える引田の町です。
写真奥の手前の方に見える半島?に誉田八幡宮が鎮座されています。 その奥に見えるのは松原、伊座方面、与治山。 そして松原、伊座、与治山の向こうは難波津です。 難波といえば大阪をすぐ連想しますが、 香川県の津田町辺りは、難波と呼ばれていたのだそうですよ。 (プチ情報:津田町立鶴羽小学校は明治5年から昭和16年まで難波小学校と呼ばれていた。 鶴羽鵜部岬に仁徳天皇皇后の陵に比定されている古墳がある。 そして私が越えてきた大坂峠は奈良坂、犬の墓経由じゃなくて、 板野郡吹田経由の大坂峠を越えてきました。大坂峠って2つあるんですね。 吹田は「すいた」じゃなくて「ふきた」と読みます) 東かがわ市引田2873番地1 祭神は応神天皇。 境内にあったご由緒 承和8年(841)、大内郡の領主である忌部正國(手置帆負命の25世孫)が、 貢を奉じて都に赴いたその帰途、河内国の誉田八幡宮を参拝した際、 神託により神宝二品を授かる。 一品は伊座中山に、もう一品は忌部中山家の後園に祀る。 その後、延久元年(1069)伊座中山にある神宝は引田亀山の頂に遷座され、 引田七郷の鎮守神とされる。 と、ありました。(一部略してます←性格出てる(笑)) 誉田八幡宮の近くに亀山会館というのがあるので、 引田亀山は、誉田八幡宮が鎮座されている山だと思います。 そして「河内国」は、タブン大阪の河内国じゃないよー。と思います←性格出てる(笑) そして勧請元である河内国の誉田八幡宮は、 応神天皇陵のすぐ南に鎮座されているそうです。 (この陵は本当に応神天皇陵?)←心の声(笑) 誉田宗廟縁起(1433)には、 誉田宗廟の社壇は欽明天皇の勅定によりて、応神天皇の御廟前にはじめて賽殿をつくり給ふ 其時の社壇は南向き 欽明天皇二十年己卯二月十五日に八幡大菩薩をあらたに勧請し給ふなり とあります。 河内国の誉田八幡宮は元々、神宮寺「長野山護国寺」という寺院だったそうです。 Wikiには、 日本最古の八幡宮を称しているが、 実際にはもっと後の八幡信仰が盛んになった時代に建立されたものと見られる。 永承6年(1051)、元の鎮座地から1丁(約100m)ほど南の現在地に遷座した。 とありました。 なので、河内の誉田八幡宮のご創建は1051年かな~?と・・・ 私は思いたいです(笑) 阿波の宮川内ダムや御所を越えて鵜の田尾トンネルを抜けると与田山があって、 少し北に与田川や與田寺、そして誉水(よみず)小学校があります。 本当は「誉田山」「誉田川」「誉田寺」だったのかな~なんて思ったり(^〇^) でも誉水村の歴史は・・・・ネットで調べた限りでは新しいそうですので、 ワクワクも7分程度(笑) ちなみに・・・與田寺ですが、 寺伝によれば、奈良時代の天平11年(739年)に行基を開山として 醫王山薬王寺薬師院の号で法相宗の寺院として創建され、 後に空海により宗派を真言宗、寺号を神宮寺に改められたそうです。 (Wikiより) 「神宮寺」とか「誉田」とか、 「ん?」と思うことが交錯するのですが・・・ 交錯するだけで・・・・私のブログは終わってしまいます(笑) 武内宿禰が祀られていました。 福の石です。 阿波の神様オオゲツヒメが祀られていました。 近くを流れる小海川と翼山。 大坂峠で人懐っこいワンコに会いました。 毛並みもよく元気なので、心配ないとは思いますが、 この子はどうやって生きているのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.08.01 12:55:50
[阿波のこと] カテゴリの最新記事
|
|