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カテゴリ:緑仙の日々是好日
「○○祭りの自粛や中止」が発表されている。 祭りとは、神仏や祖先の霊に、祈願・感謝する儀式であり、 神事である。 祭りは、動詞「祭る」の連用形の名詞化。 神仏に物を献上したり、差し上げることが祭りの原義と見られるため、 謙譲語「たてまつる」と同じ意味の「奉る(まつる)」と同源と考えられている。 「待つ」を語源とする説もあると云う‥? ご参考のために、「祭り」 ←こちらから‥ 今回の東日本大震災は未曾有な出来事である。 地震や津波、原発で被災してしまった地域なら 「お祭り」をしたくても その場所すら被害を被っているので 「中止」せざるを得ないかも知れない。 しかし、なんの被害もなく、 日常の生活を行っている地域は 「お祭り」は「神事らしく」厳かにすれば良いと思う。 季節は「春」から「初夏」へ‥ どこでもお祭りが開催される季節。 被災地の瓦礫撤去の側の「河津桜」が咲いている。 その愛らしさが一条の光に見える。 しかし、何故「桜まつり」まで自粛なのだろう? 今週末から各地で予定されていた「桜まつり」が、 震災の影響で相次いで中止になった。 その理由の一つに 「計画停電でぼんぼりが点灯できない」 「祭りをしている場合じゃない」 「花見の気分じゃない」 と主催者側は述べているらしい。 別に「ぼんぼり」が無くても 「場合」や「気分」でなくても 桜は、ちゃんと咲いてくれる。 それが、明日への「希望」に繋がる。 そして、日本の古来からの「まつり」を自粛する 必要は、あるのだろうか? 神様は、「おまつりし、たてまつり、ご光臨賜り 共に食し、お神酒を飲み、唱い踊る」 「祭り」は「ハレ」である。 「神」と一体になれる日である。 被災された方のことを辛く思う気持ちは、 みんな一緒で悲しく切なく涙が溢れ出る。 けれど、 祖先を奉り五穀豊穣を願う気持ちはとても大切で あり、そうやって日本人は生きてきたのに どうして、自粛しなくてはならないのか‥ 「さくら」は 日本人を象徴する文化であり、 もはや、ただの植物では済まされない‥ それぞれの人のそれぞれの想いがあり、 その桜を思う気持ちには千年以上の歴史観があり、 日本人に「美意識」と云う感覚をもたらした花である。 そんな桜を愛でてはいけないのか? こんな時だからこそ、桜をこの目で見たいのである。 NHK水戸放送局 ◇被災地に河津桜咲く ◇河津桜 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.31 22:03:40
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