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カテゴリ:学ぶこと
私たちが普通に「古代エジプト」と 勝手に思っている時期とは、 エジプトがファラオによって統治されていた頃で 大凡、紀元前3000年以後である。 エジプトの古代文明は いきなり都市国家になった訳ではなく 石器時代初期には ナイル川の上流の土地で生活を営んでいた。 パレスチナとシリアの西側国境沿いのリビア、 そしてヌビアから移住者がやってきた。 紀元前3000年を迎える頃 南部イラクから貿易商人がエジプトに航海して くるようになり、 その中には、この国の肥沃さに 魅せられて、永住する人々もいた。 エジプトの90%以上は砂漠である。 不毛の砂漠地帯は 「赤い土地」と呼ばれて一握りの集落が あるばかりであった。 ナイル川の辺り、あるいはこの水路に沿って 細長く伸びる大地は肥沃な黒い沈泥で覆われているので エジプト人は、これを「ケメト」つまり 「黒い土地」と呼んで、農民はここを耕作地として 穀物を栽培した。 エジプト人の人口の大部分が営む生活様式は 近代に至るまで、この肥沃な 農業資源を追い求めるとことにあった。 ファラオと言う呼び名を持つ 最高権力者である重要人物者たちは 王と言うだけではなく 神そのものと考えられていた。 ファラオが持つ言葉の意味は 「王の住む宮殿、大きな家」というエジプト語(per-aa)に 由来している。 1912年12月6日にナイル川河畔のアマルナで発掘された ネフェルティティ。 彫刻家トトメスの工房跡で発見され、 そこからは他の未完成のネフェルティティの胸像が数点 発見されている。 ネフェルティティ「美しい人の訪れ」を意味する。 紀元前14世紀の古代エジプトのファラオだった アメホテプ4世の正妃である。 謎ばかりのピラミッド 「王の墓」だったものもあれば そうでないものもあるピラミッド。 現代でもはっきりと解っていない ピラミッド。 ただ、一つ言えるのは 墓であれ、テーマパークであるにせよ これだけ精密で巨大な建造物が 作れるだけの技術があったことは エジプトが先進国であったと言えよう。 この有名なクフ王の三大ピラミッド。 世界一高いピラミッドは、 スネフェルの次のクフ王によって 紀元前2560年頃にギザに築かれたギザの大ピラミッドで、 勾配は51度52分。底辺は各辺230m、高さ146mに達する。 かなり急勾配の正四角錐の建造物である。 ピラミッドの発掘、発見、研究調査は 今も活発に行われている。 文字 ヒエログリフ。 およそ、700種類の象形絵文字を 巧みに組み合わせた言葉の表現法である。 6世紀に最後の神殿が閉ざされ ヒエログリフを解読できる者は誰も いなくなってしまった。 1799年にロゼッタで発見された「ロゼッタストーン」 石には3種類の文字を使った刻文が記されていた。 一番下がギリシャ語 中央がデモティク語 一番上がヒエログリフである。 世界の古代文明などを ほんの少し垣間見ると、ある共通点にたどり着く。 立派な建物があり、 王様がいて、宮廷があり 死後への準備があり 神々を祀る神殿があり 呪術と医学、学者、書記や 軍隊の組織と武器、交易、 狩猟、農耕、それらの道具類 音楽、舞踊、楽器、衣装、装身具などなど 皆、どの文明にも共通している。 もしかしたら、やはり地球の大地は 大昔は一つだったかも知れない。 分かりやすい年表をネットで見つけたので 貼り付けておきます。 「世界の地質時代、考古学 歴史」 時間のある方は見てください。 余談 開花から6日目を迎えた 子滝桜は昨日の暖かさで一気に7〜8分咲きに なりました。 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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