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新 緑仙の日々是好日

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 masatosdj@ Re:新 緑仙の日々是好日(サツキいっぱい花いっぱい)(06/01) New! こんばんは。 とても見応えがありますね …
 chiichan60@ Re:新 緑仙の日々是好日(サツキいっぱい花いっぱい)(06/01) New! 今晩は。 花がいっぱいのお庭、とっても…
 やすじ2004@ Re:新 緑仙の日々是好日(石楠花一枝)(05/31) New! お元気ですか 6月になりました 梅雨に入る…
 きのこ555@ Re:新 緑仙の日々是好日(石楠花一枝)(05/31) New! こんにちは! お庭で咲く花を 家の中でも…
 masatosdj@ Re:新 緑仙の日々是好日(石楠花一枝)(05/31) こんばんは。 石楠花はやはり見事で 好き…

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R.咲くや姫

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2024.05.03
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カテゴリ:学ぶこと




以前のBlogにも
少し書きましたが
本日は「松平定信」のことを
少し詳しく書いてみます。

九代徳川家重は、
病弱で政務を執れる状態ではなかったため
徳川吉宗が大御所として
まだ政権を握っている頃です。

徳川吉宗の次男「徳川宗武」と、
四男「徳川宗尹」の2人が、
江戸幕府将軍の座を巡って
争わせないようにする一つの策として
2人をそれぞれ「田安家、「一橋家」として独立させます。
また、
九代徳川家重の息子「徳川重好」を
「清水家」として独立させ、
この三家が「御三卿」と呼ばれるようになりました。
そして
御三卿のなかの田安家に生まれたのが松平定信。
つまり、松平定信は徳川吉宗の孫であり、
江戸幕府将軍になれる資格のある人物でした。








松平定信には、
「田安治察」という兄がいたのですが

病弱だったため、田安家の家臣は万一に備えて
聡明として知られる松平定信(当時は田安定信)に
大いに期待してましたが

1774年(安永3年)、江戸幕府第10代将軍「徳川家治」の命令で
白河藩の藩主「松平定邦」の養子へ出されてしまいます。

これを企てたのが
あの「田辺意次」だったと言われていて
以来、
この二人は犬猿の仲になってゆくのです。

松平定信は
八代将軍吉宗の質素倹約を大事に守り
田沼意次の重商主義を嫌っていたとも言われていますが
そもそもは、松平家に養子に出されたことが
八代将軍の孫というプライドに
深い傷を負わせたのかも知れません。





10代将軍・徳川家治には
「徳川家基」という跡継ぎがいましたが、
1779年(安永8年)に若くして他界したため、
御三卿の中から
次の江戸幕府将軍にふさわしい人物選びが始まります。


歴史に「もし」は無いのですが

もしこの時、
松平定信が田安家の当主であったなら
将軍候補に選ばれた可能性は
極めて高かったと思います。


定信は、白河家の家督を継ぎ、
白河藩主として天明の飢饉を乗り切り、
藩政を立て直した功績によって名君と称えられました。







田沼意次が失脚し
十一代将軍家斉の治世に定信は
1787年には老中首座、
翌年には将軍の補佐役にして、
あの寛政の改革に取り組みます。
松平定信は、祖父徳川吉宗の
「享保の改革」を手本として幕藩体制の
立て直しを目指しました。


松平定信が老中に就任した頃の幕府は、
凶作や飢饉対策など
深刻な経済危機に面していたため、
徹底した倹約令が出されました。

大奥の予算もだいぶ削り、
朝廷にも経費の節約を要請します。
これが、だんだん窮屈だと大奥も宮中も
感じてしまうのです。

大奥に「質素倹約」などを言っても
毛嫌いされるだけだと思いますし
一生を籠の鳥で暮らす女人たちには
華美な暮らし以外に
楽しみなど持てなかったと私は思うのです。

何しろ、11代将軍の時代が
一番贅沢だったのですから
「質素倹約」などもっての外の大奥だったに
違いありません。


大奥や朝廷‥
それだけではありません。
民衆に対しても厳しい倹約を求めました。




都市部では
田沼時代には、庶民に至るまで
華やかな生活が定着していたため、
厳しく贅沢を禁止してしまいます。
これが
多くの人々からの反感を買うことになります。


将軍徳川家斉との対立もあり、
松平定信は1793年に老中の座を解かれます。


松平定信の失脚によって寛政の改革も終了。
寛政の改革後は、
欧米諸国の接近や
「天明の飢饉」によって幕藩体制は
大きく揺らいでいきます。

このような狂歌が残っています。


「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」


質素倹約で、これもダメ!あれもダメ!と
あまり厳しいルールは、
反感を招いてしまうのですね。



まぁ、結果は「享保の改革」と
同様に失敗してしまいました。



その後、
幕藩体制は少しずつ傾いてゆくのですが
この贅沢禁止令のおかげ?と言うか
良いことも時代を受け継いで
今日に至っているものもあります。


その一つに「お洒落の文化」があります。

例えば、
洋服や着物などの裏地に意匠を凝らしたり‥
下着のデザインや色柄に凝ったり‥
表面には見えないものに
「お洒落」を見出すようになったのも
定信の贅沢禁止令があったからとも言えます。


ゴテゴテに盛り盛りに
着飾ることは罪になることでしたから
見えない部分にお金をかけたり
気を遣ったりするようになった訳です。


現代でもこうしたちょっとした「オシャレ」は
根強く残っています。
殺風景な箱を開けると
箱の蓋の裏に綺麗な絵が施されていたり
Tシャツの下の方に
小さな刺繍があったり‥
あっそうそう「リバーシブル」って
生地がありますね。
裏表、どちらでもOKな生地で作られた洋服。

これって松平定信の時代から
日本にはあったオシャレ文化です。

表は綿の着物で裏地は絹の羽二重や縮緬だったり‥
帯も両面使える丸帯だったり‥


庶民は賢いと言うか‥
うまく切り抜ける術と言うか‥



江戸時代は、大きな戦いも無く
260年ほども続いた時代です。


一口に260年と言っても
江戸幕府は全ての日本国民に
様々な文化の記憶を残し、
伝統となり令和の新しい風の中で
息づいています。



こんな街並みが残っている場所が
全国各地にあります。
新しく作られたところもあります。

(下記の写真はネットよりお借り致しました)


























まるで、映画村のセットの様な
佇まいの江戸情緒あふれる街並みです。
どこかは、ご覧になっている皆様が
当ててくださいね。





さて、松平定信が残した絶景の公園。
美しい南湖公園です。





南湖は、白河藩主・松平定信により、
身分の差に関係なく誰もが楽しめる
「士民共楽」という理念のもと、
享和元年(1801)に築造されました。




私は、桜と紅葉の季節に
南湖公園に行きました。
とても綺麗な公園でした。






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Last updated  2024.05.03 16:09:02
コメント(6) | コメントを書く


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 Re:新 緑仙の日々是好日(大奥から見た松平定信)(05/03)   chiichan60 さん
松平定信という名前は知っていてもここまで詳しく知りませんでした。

徳川吉宗の孫で、祖父の教えを守って経済危機を乗り越えるために質素倹約を徹底しても大奥、朝廷、庶民からさえもも反感を買うんですからね。

「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」という狂歌が皮肉ですね。

それでも徳川時代は260年ほど存続したわけですからその時代、その時代のリーダーである将軍は心労は絶えなかったことでしょう。

南湖公園が今でも誰もが楽しめる絶景の公園として残っているというのは松平定信の素晴らしい功績ですね。 (2024.05.03 17:26:14)

 Re:新 緑仙の日々是好日(大奥から見た松平定信)(05/03)   やすじ2004 さん
こんにちは!!
GW後半リフレッシュできていますか
残りあと僅かですがのんびり過ごしてストレス解消しましょう


良い一日をお過ごしください (2024.05.04 16:08:35)

 Re:新 緑仙の日々是好日(大奥から見た松平定信)(05/03)   きのこ555 さん
こんにちは!

松平定信・・素敵な人ですね~
白河の地では愛されていたのですね
白河という場所が
合っていたのかもしれないですね

白河の人たちが素朴で
素敵な人が多かったのかもと思ったりしました

福島県に南湖公園という素敵な場所を
残してくれたことに感謝したいと思います (2024.05.04 16:39:21)

 Re[1]:新 緑仙の日々是好日(大奥から見た松平定信)(05/03)   R.咲くや姫 さん
chiichan60さんへ

白河藩での功績は素晴らしいと思います。

良くも悪くもお祖父ちゃんがあまりに
偉大だと、孫もお祖父ちゃんみたいに
ならなくちゃとかお祖父ちゃんの夢を叶えようとか
思ってしまうのではないでしょうか‥

どこかの国の将軍様も
お祖父ちゃんの夢を叶えようと
必死ですものね。


南湖公園は
本当に美しいところでした。
(2024.05.04 18:29:38)

 Re[1]:新 緑仙の日々是好日(大奥から見た松平定信)(05/03)   R.咲くや姫 さん
やすじ2004さんへ

お久しぶりです。
GWは、家事と庭仕事に明け暮れています。

GWも後半です。

気温が高いので体調管理には
気を配りましょうね。 (2024.05.04 18:31:11)

 Re[1]:新 緑仙の日々是好日(大奥から見た松平定信)(05/03)   R.咲くや姫 さん
きのこ555さんへ

素敵だったかどうかは分かりませんが
白河藩に養子に出された時は
嫌だったと思いますよ。

でも、そこで頑張らないと
中央には戻れないとも思ったことでしょうね。

また、「白河の関」と言うのも
東北への玄関口を守り抜かねばとも
思ったことでしょうね。 (2024.05.04 18:44:57)


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