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2019年12月30日
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テーマ:こけし探訪(85)
カテゴリ:こけし用語辞典
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こけし用語辞典by松田ひろむ【修業】しゅぎょう


こけしの雑誌・書籍やネットなどで「修業」と「修行」があまりにも混用されていて、いらだつことが多い。

「奥瀬鉄則は・・・盛秀太郎につき木地修業を始め」「石塚智は・・・最初は3年間の修業の約束であったが、食糧事情で1年半の修行となった。」(KokeshiWiki​​)
佐々木一澄『こけし図譜』は「(西山敏彦は)6年ほどで木地修行を中断」「(岡崎幾雄は)祖父に修行の成果を見せようと」などすべて「修行」である。ここまで修行になっているとこの本の価値自体に疑問符がつきかねない。​​

『こけし辞典』ではきっちり「修業」に統一されていて「修行」はない。「修業」に替えて「習得」「弟子になる」などの記述もある。KokeshiWikiの場合は誤変換(誤植)の範囲であろう。こけし工人(木地師)の場合は「修業」であって「修行」ではない。この二つははっきりと区別されている。

「修業」(しゅぎょう)とは一定の技術・学芸を身につけること。

「修行」(しゅぎょう)とは精神を鍛えること。(仏教あるいは学問や技芸を磨くために努力すること。)

 つまり工人が師匠について学ぶのは修業で修行ではない。工人自身が「私は一生修行」です」というのは精神的な意味でいいとしても、客観的な記述では「修業」である。なお「修業」は、もともとは「しょうぎょう」と読んでいて、現在でも「修業証書」などと使われることがある。

【修行】しゅ‐ぎょう〔‐ギヤウ〕[名](スル)

悟りをめざして心身浄化を習い修めること。仏道に努めること。

托鉢(たくはつ)・巡礼して歩くこと。「全国を修行する」

学問や技芸を磨くため、努力して学ぶこと。「弓道を修行する」「武者修行」

熟語:修行僧、修行者、修行位

【修業】しゅ‐ぎょう〔‐ゲフ〕[名](スル)

学問や技芸を習い、身につけること。しゅうぎょう。「修業中の身」「師のもとで修業する」「花嫁修業」(Goo辞書)

 

[佐藤俊明のちょっといい話]51話 「修行」と「修業」

 文章を書くとき、私は必ず「修行」とかいているのだが、漢字になったものをみると「修業」にあらためられていることが一度や二度ではない。 編集者が用語の慣例に従って親切に訂正してくれるのだろうが、実は有難迷惑なことである。

 なぜなら「修行」と「修業」では肝心の意味が違うからである。

「修業」とは一定の業を修めることで、基準に達すれば「卒業」となり資格がつくのだが、「修行」には「卒行」がない。終わりのない行を修めるのが修行である。

 終わりのない行とはなにか。

 それは仏祖の践み行われた大道のことであり、それを修め護持するのが修行である。換言すれば「修業」とは自分のため、自分の利益のために業を習いおさめるもの。「修行」はなにも求めず、利害損失を離れて、昔の悟りを開いた人々の道と行ずることである。

 唐の時代、馬祖道一(ばそどういつ)が座禅修行に励んでいるところへ師匠の南獄懐譲(なんがくえじょう)がやってきて

「感心に座禅をしているが、それは何のためだ?」と訊ねた。

「仏になるため」つまり悟りを開くためですと馬祖が答えると、南獄は瓦を持ってきて、石にあててこすりはじめた。馬祖が「何をなさるんですか」と訊ねると、南獄は「磨いて鏡にするんだ」という。

「瓦を磨いても鏡にはならんでしょう」と馬祖がいうと、南獄は

「座禅をしてどうして仏になれるのか」といって、座禅を悟りの手段と考えることを戒めた。

 座禅をしながら悟りを待ち望む思いがあってはならぬ。修行はそれを利するための手段であってはならぬというのである。

(画像は修業中の木村敦(弥治郎こけし村)2018418​日「河北新報」)
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 1/29『こけし図譜』追加。

<こけし用語辞典by松田ひろむ>本用語辞典は『こけし辞典』(東京堂出版)、<KokeshiWiki>に立項されていない項目。あるいは内容や定義が相当程度異なるもの。内容を相当大きく充実させたものに限定している。必要に応じ順次充実させてゆきたいと考えている。みなさまのご意見、ご叱正をいただければ幸いである。

 






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最終更新日  2020年01月31日 19時12分47秒
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