やっぱ、日蓮正宗て・・・
大白法諸宗教破折(80) 守ってはくれない!御守り 俗信・迷信 障害や苦悩に直面した時、そして、その解決が自分の力ではどうにもならないと感じる時に、人は何かにすがりたい心境に駆られるものだ。 そんな時、神社仏閣の社寺境内で販売されている「御守り」を自身のために購入したり、親しい人や大事な人にプレゼントするという人も、皆さんの周囲にはいることだろう。【安価で便利な宗教グッズ?】 形状は、紐で吊り下げられるようにした平たく小さい袋や巾着、紙片、パワーストーンで作られたブレスレット(腕輪)、ペンダントとして首から提げられるものやキーホルダーに取り付けられた鈴、車に貼れるシール、と様々である。 広い意味では、国内外の厄除け、招福、加護など、人の願いを象ったすべての縁起物を合む。 多様な願いに応じて提供されている中から簡単に選べること、手頃な価格であること、常に携帯できる利便性などにより、多くの人に受けのいい宗教グッズで、宗教の正邪を問わない人ならば、ほぼ抵抗感はないのだろう。【神々もびっくり】 無病息災、商売繁盛、受験の合格、安産、交通安全などのメジャーな物から、一風変わった物もある。 東西の叶神社それぞれにある、袋と勾玉を組み合わせて一つにする御守り(東・西叶神社)。何事も大丈夫だという気持ちにさせてくれる浅草神社の「大丈夫守」。ランドセルを形取った御守り(湯島天満宮、石清水八幡宮、西新井大師等々全国各地)。あらゆることの融通を利かせてくれる万能な「融通御守り」(花園神社)。インターネット普及に伴ってか、パソコン全体の情報を守ってくれる、ウィルス対策ソフトいらずの「IT情報安全守護」(神田明神)などがその例。IT情報安全守護ですがウイルス対策ソフトいらずとは記載がない。(参照)大白法も嘘を平気で書くようになったんだね。さすが嘘つき日蓮の信徒だ。!さらには境内の梅の種で作った御守り(亀戸天神)まである。ここまでくると、何を守ってもらうのか理解不能になりはするが……。 世情や流行に合わせて新作が続出するのは、守られたいという人々の願望を逆手に取った金儲けの手段に過ぎないからだ。 緑もゆかりもない人の守護を願われる八百万の神だって、さぞかし困惑することだろう。そもそも八百万の神は、私たちを直接守る神ではないのだから。「緑もゆかりもない人の守護を」というが、御守りを贈られた方はたしかに可能性はある。しかし、授与しにいってきた方は、お参りしているのだから縁を結んできた事になるだろう。自分達(法華講員)が路上で縁もゆかりもない人間を勧誘しても、勧誘して縁が出来たからというではないか。縁故者を勧誘ではなく、勧誘して縁故者に仕立て上げる。自己中な日蓮信仰者だけどね。【期限付き?】 また、御守りによっては有効期限があるのはご存知だろうか。基本的には一年間とし、一年が過ぎたら納めることを推奨している社寺がとても多い。 理由も諸説ある。「古い御守りは災いを受け切れなくなって、逆に持ち主に災いが降りかかる可能性がある」とか「神様は清く整った所を好むが、時間が経つと穢れや悪い気に触れて効果を発揮しにくくなる」とのこと。そんな理由か、という印象ではある。【正体は悪鬼魔神の札】 神聖なものと思い込んでいるため、御守りの中身を確かめる人は少ないだろう。多くは、中に「神璽(しんじ)」とか「内府(ないふ)」と呼ばれる小さな「おしるし」が入っている。これにはその宗派の象徴ともなる本尊や題目、経典などの文言・図画が書かれていることが多い。 びっくりするのは、何も入っていない、もぬけの殼の御守りもあれば、形を整えるための厚紙入りもあったことである。そんなものを後生大事に持ち歩いている人も多いということだ。 これら御守りが問題なのは、大半は神社仏閣で祈祷されていて、そのために悪鬼魔神が取り憑いているということである。祈祷されないと御守りにならない。そして、御守りに仏神は取り憑かない。で、御守りを誤解してるよね。御守りが守ってくれるわけではない。自分達の御守り本尊て、御守りが守ってくれるわけではなく、本尊が守ってくれるわけでしょ。それと同じだけど、やはり信心が必要なのは、どこの御守りも同じ。日蓮大聖人の、「世皆正に背き人悉く 悪に帰す。故に善神国を捨てヽ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(御書 二三四ページ)との御金言からも明らかなように、正法に背いて銘々が勝手な教義を立てている社寺から販売されているのだ。そんな物には当然、神の力が宿るはずはなく、悪鬼魔神が棲みついて、たちまち災いを呼び寄せる結果となってしまう。 自分で努力もせず、その因果を知ろうともしない人に「わずかな値段の御守りさえあれば不幸がなくなる」と教えることこそ、外道たる証である。勝手な教義て何を基準にしているのだ。日蓮の教えを基準にしたら、それすら勝手な教義ではないか。お釈迦さんが言ってないことをいってると嘘八百を垂れ流す。大嘘つきの権化だね。そして善神国を捨ててというわりには、八幡菩薩はまことの神かと八幡神社の前で大声で叫んだのは誰だ?八幡神社には善神はいない。居ないどころか悪鬼が住みついて居るんでしょ。そんな神社に向かって、八幡神はとかいってるんだから、自己矛盾も甚だしいといおうか自己中だよね。「自分で努力もせず」て法主とか布教部長にいってやれよ。折伏・折伏とハッパだけ掛けて、自分では何もしない。で因果を無視しているのも日蓮正宗の教えだ。祈りで願いが叶うてそこに、自分の努力が必要てなるのなら、そのことを明確にいわないとダメだよね。だけど、いわない。祈れば、罪障消滅、宿命転換とかもぉ~都合の良いことばかりいう。一つ前の日蓮正宗系の問いで抜けていた部分がある。>何処の経典を読んだのでしょうか?法華経以外は方便だったり間違いだったりとかいっているのだから、読んでも意味がないのに何処の経典をとかいう。網羅して読んでも、有効期限が切れたものだから役に立たない。まぁ~こんな感じだろう。でも、法華経ぐらいは読んだ方が良いよね。どうせ、法華経の現代文も読んだことないのに経典とか言ってそうだな。>日蓮正宗歴代上人の御指南全て読み勉強したのでしょうか?一般信徒は勉強が出来ない。歴代法主全集にしても非売品。坊さんと連合会役員とか一部の人にしか配布されていない。そして一般信徒用に歴代の御指南集なと発刊してない。日達上人の御指南集にしても、中古価格で50万だ。もちろん非売品。どうやって、「日蓮正宗歴代上人の御指南全て」を読むことが可能なのかだ。不可能なことをいって、まったく法華講員と来たら。て、こういのって元顕の法華講員ぽいよね。代々系ではあり得ない。また、学会系にしても違うと思う。残るは元顕の法華講員の可能性が高い。にほんブログ村「自灯明・法灯明」「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」