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2016年12月17日
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カテゴリ:日蓮正宗
平成28年12月1日(946)号より。
布教講演・本山御大会 (H28.11.21)
【平成33年の御命題達成をめざして】


布教部長
全国布教師
常在寺住職 阿部信彰御尊師

この度「布教師会会長」に就任された、阿部信彰御尊師の有り難い内部向けの布教講演です。
 とてもではないが、外部に向かって布教講演などしたら、笑われる内容ですからね。^^
だから内部に向かって布教講演。
布教とは外部、一般者に向かって教えを広め伝える事です。
内部の人は信仰を保ってるのですから教え広める必要は有りませんね。



 本日は御法主日如上人猊下大導師のもと厳修の、平成二十八年、総本山御大会に当たり、法華講連合会星野委員長をはじめ法華講大講頭各位、各支部講頭、及び全国、世界各国の法華講員代表各位皆様には、御大会へのご登山、まことにおめでとうございます。
 本日、布教講演を勤めさせていただく阿部信彰でございます。どうぞ宜しくお願いを申し上げます。

 ご承知の通り、御大会は、宗祖日蓮大聖人様が、弘安五年十月十三日、武州池上右衛門大夫宗仲の館において安詳として御入滅あそばされ、滅不滅・三世常住の御姿を顕わされたことをお祝い申し上げる儀式でございます。
 御会式と申しますと、他門日蓮宗や世間一般には、単に「日蓮上人のお命日忌法要」程度に思っておりますが、日蓮正宗におきましては、大聖人様の御入滅は非滅の滅と拝するのであり、昨日の御法主日如上人猊下の御説法におきましても拝聴申し上げましたが、真実にはこの娑婆世界に常住此説法あそばされ、一切衆生を救済あそばされる大導師と拝し奉り、その永遠常住を僧俗一同に慶賀申し上げ、御報慰謝徳奉るところの重大な意義の上に奉修申し上げる法要でございます。

久遠元初の仏の時点で、常住して説法をしてないのかな?
もし説法しているのであれば、日蓮として誕生する必要はないよね。
常住しているのだから。

逆に久遠元初の仏ではなかったのなら、鎌倉時代に日蓮として生まれて、はじめて常住して説法をするて言うのであれば、多少なりともなるほどね。てなると思うよ。
だって、この娑婆世界には、釈迦牟尼仏が常住して説法をしている。
なのに、日蓮という仏があとから来て、釈迦牟尼仏の仏国を奪うことになる。
あり得ないでしょ。


 二祖日興上人御執筆の『宗祖御道化記録』によりますと、「十三日辰の時、御滅御年六十一 即時に大地震動す」(御書 一八六四ページ)と記載されております。すなわち今の時刻で申しますと、午前八時頃に御入滅あそばされ、そのとき即時に大地が震動したとの仰せでございます。
 またその時、庭前の桜に時ならず花が開いたとの伝承によりまして、御会式にば御宝前を桜の花をもって荘厳いたして、末法の御本仏の御入滅と、その永遠常住の御生命をお祝い申し上げるのでございます。

五老僧の署名があったのなら、地震はあったんだろうね。
でも、大石寺門流の文献て嘘が多いから、最近は信用して鵜呑みには出来ないな。
で桜の花がてのは伝承の部類ね。
アホな顕正会員は事実とか言うだろうけど、これは否定しないよ。
咲良の品種によっては、咲くからね。狂い咲きてのもあるし、だから桜が咲いたから何て程度。


【御一期通じての尊い御化導】

 ここで、御会式の甚深の意義を拝したいと存じます。
 竜の口御法難後、文永十年の御書『当体義抄』に、「至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して蕨滅(けつげん)無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ」(同 六九五ページ)との御金言に顕かでありますように、日蓮大聖人様こそは、仏教悠久三千年の歴史上に、誰人も解説することなく、言及すらできなかった、法華経本門寿量品文底下種久遠元初の人法を、闡明(せんめい)あそばされた、正しく一迷先達の聖人にあらせられるのであります。

 摩詞止観第五の一念三千の文を釈した妙楽大師の『弘決』に、「当に知るべし、身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称いて一身一念法界に遍し」(摩詞止観弘決会本中ー二九六ページ)とありますように、我即法界、御自身の御生命を即南無妙法蓮華経日蓮と感得あそばされたのでございます。

 大聖人様は、『御義口伝』に、「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり」(御書 一七七九ページ)と仰せの久遠即末法、示同(じどう)凡夫の御姿をもって、貞応元年二月十六日、迹を娑婆世界に垂れ給い、日本国安房国長狭郡東条郷片海に御誕生あそばされました。

「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり」て、人間は皆、凡夫でしょ。
だから凡夫=人間、人間だから仏になれる。
動物や虫が仏には成らないでしょ。
末法の仏は凡夫て、人間だから仏になれるて事でしょ。

で、凡夫僧て正法時代なら、修行僧が仏になるよね。
在家は少し厳しいけど。
なら末法は凡夫僧だけがとはならないでしょ。
そうしないと、大乗だと言ってるのを否定することになる。
だから凡夫僧というのは、些かおかしいと思うな。
(御本仏日蓮大聖人に背く謗法者が居ますよ。確り破折しに来ましょうw 法華講員は同門だからと言うのであれば、正式に脱講するから最後まで逃げないで議論してくれる?)


 そして同国清澄寺において御出家あそばされ、諸宗の教義を研学なされた後、建長五年、初めて「南無妙法蓮華経」と唱えられて宗旨を建立あそばされ、以後、文応元年に『立正安国論』を奏進なされてより、謗法の諸宗を破折された法華経の行者の御修行は、文永八年の竜の口法難を惹起(じゃっき)し、同年九月十二日夜半、大聖人様は竜の口頸の座において、久遠元初自受用報身と発迹顕本あそばされたのでございます。

 この法難における不思議な光り物により虎口を脱せられた日蓮大聖人様は、佐渡へ配流となり、佐渡におかれては『開目抄』『観心本尊抄』等の重書を御著述なされました。
 佐渡から鎌倉へ御戻りになられた大聖人様は、第三の国諌の後、身延の山へ御入りになられました。

法華経弘通をすてて、山に籠もってしまった。
弟子育成とか都合のいいことをいうけど、弘通を放棄したのには変わりない。


【大聖人の御生命は大湊茶羅御本尊に】

そして弘安二年十月、「余は二十七年なり」と宣せられて、出世の御本懐を成就あそばされ、三年後の弘安五年十月十三日、安詳として御入滅あそばされたのでございます。

「余は二十七年なり」て主語は不明。
大石寺系では出世の本懐と言うけど、難にあって二十七年とも読める遺文だよね。
でもこれにしても客観的な証明が出来ないのであるから、出世の本懐てのは、疑惑有りてことでしょ。
事実と言い張る顕正会員辺りは、客観的な証明をしようね。もち、法華講員が証明してもいいよ。特に自称法華講員辺りがね。


 『御義口伝』に、「無常常住・倶時相即」(同一七四五ページ)と仰せのように、大聖人様の御入滅は、一往は無常のように見えますが、大地が震動し、季節はずれの桜が開花して法界寂光土の様相を現出したことは、事相において無常常住倶時相即を示すものと拝されます。

近年、季節外れの開花とか有るけど、それはどう説明する?


 『寿量品』の自我偈に、「衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず 而も実には滅度せず常に此に住して法を説く」(法華経四三九ページ)とございます。日蓮大聖人様は三世に常住あそばされますが、常に住されていると、衆生はいつでも仏様にお会いできると安心し、つい仏道修行を怠ります。そこで、一つの方便として寂滅の相を顕わし、衆生に恋慕渇仰の心を生ぜしめ、仏道修行を勧められるのであります。

法華経の文は、釈迦牟尼仏の事。日蓮上人に当てはまらない。
顕正会員辺りは当てはまるんだよ言うけど、絶対にあり得ないことが簡単に証明できる。

ここでも法華読みの法華知らずて成ってしまうけど。

見宝塔品第十一に出てくる話で多宝塔があります。
「釈迦が霊鷲山で法華経を説法していると多宝如来の塔が湧出し、中にいた多宝如来が釈迦を讃嘆し半座を空け、二如来が並座した。」そして多宝如来は何時、いかなる時代でも「仏が法華経を説くときに説法を聞きに来る」と言っています。

久遠元初の自受用報身如来が法華経を説くのだから出現して讃歎しないわけがない。
しかし、讃歎したという話はない。十界衆生の誰もが見られるのだから末法の衆生だから見られないて事はない。
だから多宝塔が出現してない。多宝如来が讃歎してないから仏では有りません。
法華経が真実の教えなのだから多宝塔が出現しないのが証拠。

で、今さらなんだけど「自受用報身如来」て「報身」なんだよね?
それが肉体を持って具現化したて事なんだよね。
でも三身説て500年頃に成立したものだから・・・・
どうでもいよね。

法華経が事実の話で、多宝如来が讃歎しなかったて事実があるんだからね。


 では、「常住此説法」と仰せの日蓮大聖人様の御生命は、御入滅後は何処に御座しますのでありましょうか。
 『経王殿御返事』の、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて侯ぞ、信じさせ給へ」(御書六八五ページ)また『御義口伝』の、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(同 一七七三ページ)等の御金言を拝しますれば、日蓮大聖人様の御生命は十界互具の大曼荼羅御本尊の中にあらせられ、就中大聖人出世の御本懐たる三大秘法総在、人法一箇独一本門戒壇の大御本尊として在されるのでございます。

魂を流した墨の部分を削り取ってしまったら、魂が無いではないか。
書き表したことが大事なら、魂云々はいらないでしょ。
そして魂を墨に染め流したんだから肉体を持ってる方の日蓮は、抜け殻てことだよね。
それとも二仏同坐なのか?

でも戒壇本尊として実体を現したのなら、肉体の方の日蓮は必要ないよね。
でも、死ぬまで残している意味がないジャン。

「日蓮大聖人様の御生命は十界互具の大曼荼羅御本尊の中にあらせられ」て、生命の定義を教えて貰いたいな。
何を持って生命なのか?
顕正会でも死後の生命が守られてと言うが、生命の定義が不明である。
死んでるのに生命とは如何に生命とは何? てこと。


【大御本尊の御法体は御歴代上人の御身に】

 そしてまた、この大御本尊の御法体は日興上人・日目上人・日道上人と血脈承継の御歴代上人と、その御内証に御相承され、今日は御当代御法主日如上人猊下の御一身に一切が具わり給うところでございます。

 大聖人様滅後、本六僧の中で、正しく法統を継承されたのは、大聖人様に常随給仕申し上げ、厳しい師弟相対の上に、下種仏法を余すところなく相伝された二祖日興上人であります。
 五老僧の謗法と化した身延を離山あそばされ、大聖人様の正義を、日興上人ただ御一人が厳然と立て通されたのでございます。したがいまして日興上人が開基あそばされたこの大石寺の門下のみが、正しい信仰と法義に基づいた化儀を七百年来伝えることができたのでございます。

 その証左は、日蓮大聖人様の一期御化導の目的であられる立正安国の御精神を体され、日興上人・日目上人をはじめ代々の法主上人がたびたび国諌をなされ、また広宣流布へ向けて、謗法厳誠と興学布教に精励(せいれい)してこられたことでございます。

立証安国論の精神と言うのであれば、不受布施派しかないでしょ。
江戸幕府から庇護を受けて、弘通もしない。謗法者と同座して破折もしない中興の祖と言われる日寛師を筆頭に天奏もしない。どこが立証安国論の精神と言えるのか? 


【御宝前に広宣流布 お誓いする御会式】

 故に本宗の御会式におきましては『立正安国論』並びに『御申状』を捧読し、大聖人様の御精神を体して、広宣流布を御宝前にお誓い申し上げるのでございます。

誓うのは、弟子である坊さん。
信徒は外護するのが勤め。
それを信徒に全てなすりつける坊主て必要かな?


 さて、大聖人様は『当体義抄』に、「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(同 六九四ページ)と仰せでございます。

 今、世界の様相を見まするに、国の内外を問わず、世はまさに「煩悩・業・苦の三道」の濁悪の世そのものであり、多くの衆生が塗炭の苦しみに喘いでおります。    、
 かかる世情に対して宗門は、御法主日如上人猊下の御指南のもと僧俗一致、平成三十三年の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の御命題達成により、世界平和と一切衆生救済・娑婆即寂光を実現せんと、僧俗一致、全力で広布へ勇猛精進いたしております。

「煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて」て、一番唱題が上がってるはずの坊さんを見ていても、三毒まみれではないかな?
まして本仏と仰ぐ大聖人すら、腹痛で苦しいと嘆いている御書がある。
全然、転じてないよ。
やはり大石寺法門は無理があるな。


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「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」







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最終更新日  2016年12月17日 20時18分27秒
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