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松風日記

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2021.04.30
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カテゴリ:エッセイ
今日はあまり時間がないから、僕がここまで『世界の歴史5 ギリシアとローマ』を読んできて気づいたことを書いてみたい。

それは、歴史の勉強というのは、歴史書を読んで要約するのではなく、むしろ膨らませなければならないのだ、と言うことだ。安いハウツー本みたいに、1時間で読んで1ページに要約、というわけには行かないのだ。

なぜなら、本書に書かれていることというのは、歴史の骨格に過ぎないからだ。年代や人名、地名、歴史用語、歴史的出来事や事件にしても、詳しい解説がない場合が多いから、歴史的な意味や意義がピンとこないことが多い。また歴史地図や史料からの引用や写真や図版なども少ない。

この本をただサラリと、通り一遍読んだだけでは、僕が以前感じていたように「歴史と言うものは、無味乾燥でつまらないものだ」と思うことになってしまうだろう。

だから、歴史の勉強とは、歴史書が与えてくれる骨格に、自分のこれまでの経験や持てる知識や想像力を総動員し、足りないところ、わからないことは自分で調べて補い、肉を付け、皮を貼り、血を通わせて、”自分自身の生きた歴史像” を作り上げることなのではないか、と思うのである。その過程で、自分が歴史から学びたいこと、追求すべきテーマもはっきりしてくるかもしれない。(ただし「自分の考え」は、あくまでも、自分の浅薄な知識や経験から推論した「現時点での仮説」に過ぎないことを、肝に銘じておかなければならない。)

そういうことをやろうとすると遅々として前に進まない。けれどもそれは、決して苦行なのではなく、むしろ楽しい作業なのだ。ちょうど画家が、自分の絵を仕上げていく時に感じるであろうような喜びがあるのではなかろうか。あくまでも、自分のペースを守って学んでいける限りにおいては。

僕が高校生の時にはそれができなかった。だから、最初に書いたように、日本史(だけではないんだけど)の勉強がつまらなかったのだろうと思う。

それで、読者がもし、本書を手に取ってお読みになるとした時も、歴史を楽しく学ぶためには、そういう心づもりが必要なのではなかろうか、ということを申し上げておきたいと思うのだ。





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Last updated  2021.04.30 19:00:06
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