カテゴリ:歴史・時代小説
清少納言といえば…小倉百人一首にも選ばれていますね。
清少納言の父と曽祖父まで! 才能は血筋なんですねぇ~。 <原色小倉百人一首より> 清少納言 清原元輔の娘。一条天皇の中宮定子に仕える。『枕草子』の作者。 「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」 【歌意】夜の明けないうちに、鶏の鳴きまねで人を騙そうとしても、あの函谷関(かんこくかん)ならばともかく、この逢坂の関はけっして許さないでしょう。---騙そうとしても、私はけっして逢うことを許さないでしょう。(言い寄る男の言葉を中国の故事をふまえて切り返した歌。頭いい~!) *中国の故事「史記」…戦国時代、斉の国の孟嘗君が、秦に使いして捕らえられたが、部下に鶏の鳴きまねをさせて、一番鳥が鳴かなければ開かない函谷関を夜中に開かせて通り抜け、無事に逃げ帰ることができたという。 清原元輔 梨壺の五人の一人として、『後撰集』の編纂にかかわる。清原深養父の孫。清少納言の父。 「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」 【歌意】約束したことだったよ。互いに涙に濡らした袖をしぼっては、末の松山を波が越さないように二人の心が変わらないということを。 「末の松山」は宮城県の多賀城市あたりの地名。どんな大きな波でも末の松山を越すことがないというところから、そこを「波」が越さないとは、二人の間に心変わりのないことのたとえとなった。 逆に「波」が越すのは、心変わりや浮気のたとえ。 清原深養父(きよはらのふかやぶ) 九世紀末~十世紀前半の人。清少納言の曽祖父。 「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ」 【歌意】夏の夜は、まだ宵のままと思っているうちに明けてしまったので、いったい雲のどのあたりに月は宿をとっているのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月18日 12時22分48秒
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