あの日のバンコク ~カラー編~
初めてのバンコクは、ナンプラー(魚醤)の臭いが鼻を突いて不快だった云う記憶があります。しかし、如何云う訳だか、何度もタイへ足を運ぶ内にナンプラー臭さを感じなくなってしまいました。以下は12年前の1996年6月、初海外、初タイの時、バンコクで撮影した写真です。 この時と今とで顕著な違いは服装に表れています。1996年当時のバンコクは、ブカブカの服装が目立っていました。女性の髪は黒々として長く、女子大生の制服のスカートも一様に長かった。80年代の日本を彷彿とするところがありました。今はもう長いスカートを穿いている女子大生は皆無に近いのではないかと感じます。時代と共にファッションが変化するのは日本もタイも同じのようです。12年前は、日本とタイとで大きくファッションセンスの違いを感じたものですが、今では其の差も余り大きく感じなくなって来ました。今は、多少タイ人の方が日本人より派手な色を好むのかなと云う程度に留まっています。現代のタイのファッションは日本のファッションを手本にしているとも云われています。タイの雑誌などではよく日本のファッションが紹介されています。そんな事もあってか、タイのファッションセンスも日本と余り違いが無くなってしまったのではないでしょうか。違いが無くなってしまうと、其の趣が感じられなくなってしまい、少し残念にも思います。通りへ出ると先ずバイクの騒音に圧倒されました。ガラスの割れたバスや傷だらけのタクシーが平然と客を乗せて走っているのにも驚きました。初めてのバンコクは驚きの連続でした。屋台が立ち並ぶ様子に驚き、更にセブンイレブンの前にも平然と屋台が出ているのにも驚き、屋台の周辺に野良犬がゴロゴロと寝ている有様にも驚きました。驚きの中にも、平生の生活をする人々の姿を垣間見ると、逞しくも思え、漫ろに微笑ましくも思えて来ました。 歩いていると突如、雲行きが怪しくなりました。6月は雨季。早速其の洗礼を受けました。激しいスコール。激しく降りかかる大粒の雨。一斉に皆、雨宿りに入っていました。30分もしない内に其の激しい雨は止み、青空へと変わって行きました。何とも極端な気候でした。そして、鱗雲が広がって行きました。バンコクは、都会でありながら田舎臭さを感じる不思議な町であると感じました。高層ビルが屹立し、大通りには車やバイクが行き交う。そんな中、所々に屋台や露店があり、路地へ入れば人々の生活の匂いが感じられる。都会のせかせかした雰囲気と田舎ののんびりとした味わいとが同居して感じられました。バンコクは年々小奇麗に変貌して行き、都会化の一途を辿っています。其れは都会の宿命かも知れません。不便な点が改善されて行く事は大いに賛成なのですが、都会化と共にタイ独特の趣が無くなって行ってしまうのではないかと云う懸念もあります。バンコク自体に取り分け魅力を感じる事はありませんでした。居心地の良さは余り感じられませんでしたが、雑駁とした其の空間は視覚的に面白いと云う興味を覚えました。以上、1996年のバンコクの写真(カラー編)でした。自己採点で40点以下。今思うともっと上手く撮れたんじゃないかと思ってしまいますが、其の時はこれで精一杯でした。バンコクは東京と違い、つくりが大雑把であっちこっち歩くのには一寸苦労を感じました。バンコクで、写真を撮っていて、人から変な目で見られる事も無かったので、其の点では都合が良いと感じました。出発前は、海外と云うと危険なイメージを持っていましたが、バンコクを歩き、そんなイメージも大分和らぎました。治安も悪くない、物価も安い、よく晴れていて写真を撮るにも都合が良いし、と思い、2年後に再びバンコクに降り立つ事となりました。バンコクを起点に東南アジアを陸路で旅しようと計画し出発したのですが、何故かタイの田舎に長居してしまう結果となりました。其の後、何度もタイへ渡り、今に至ります。今では原油価格の高騰により、安かったタイへの旅費がグーンと上がってしまい、とても残念に思います。2万円、3万円代で成田⇔バンコクの往復チケットが買えたのが遠い昔のようです。今は高くて嫌になります。燃油サーチャージ!何とかしてもらいたいものです。タイが遠く感じてしまう今日この頃です。撮影データ;カメラ:キャノンEOS5フィルム:フジクロームPROVIA400プロ(リバーサル)2本