補い合うため
今朝の礼拝は分区交換講壇礼拝でした。別教会の牧師先生がうちの教会で説教奉仕をなさったのですが、すごく印象に残った言葉があります。『人によってできることとできないことがあるけれど、それは優劣をつけるためではなくお互いに補う合うため』私たちはいくらでも代わりのいる製品でもできることを売りにする商品でもなく、神様の作品であるということ。今までできていたことができなくなったり、大切だと思っていたものを失ったからといって廃品になるわけではなく、神様によって作られた唯一無二の私たちひとりひとりはその存在自体が尊い。欠けばかりが目に付いたり、欠けの多さ故に自身を卑下することもありますが、私の欠けは誰かが補ってくれるし私自身の中にもその欠けを補おうと別の何かが働くのかもしれないと思うと世の中の見方、自分自身の見方が変わってくるような気がします。。。