ホタルの里
(ライブ中継風に) それでは、道路を横断します。 タイムリー(コンビニ)をすぎて、上流へと遡っていきます。まだまだ、しばらくはホタルの姿はみかけません。でも、川の流れは、すごいのです。途中、堰が作ってあって、いったん水をためるようにしてあります。とうぜん、水はよどみます。ホタルは、どちらかというと、蒸し暑いような日に多く飛ぶようです。今日は、ちょっと涼しいので、あまり出ないかもしれません。数日前には、この辺でも数匹のホタルを見かけましたが、今日は、まったく見かけません。カエルの声が、一段と大きく聞こえます。もう、この辺で、「かえる」なんて、言っちゃたりして・・・。しばらくは、見かけないままに過ごしましたが、ようやく、ホタルの生息域に入りました。今日は、反対側の岸を歩きます。すぐそばを車が横切りましたが、見物人ではありません。この5日間、ホタルを観察していますが、見物人は、やっと一家族だけでした。 あっ、ホタルを見かけました。最初のホタルです。ちょっと、川のほうへ近づきます。おっと、川に落ちそうになりました。ずぶぬれになったら、あんたなんか、ほったる(ホタルにかけて)(放り出す)と、かわいい○○○○ちゃんに言われそうです。○○○○様には、ムチでしばかれそうです。そうです、ここが、あのおじいさんが、芝を刈りにきたところです。(嘘だ、ぴょ~ん。) 冗談は、さておき、レポートは、続きます。しばらく見かけないままが続きましたが、突然生息域につきました。あっ、川岸に、やっとホタルを見かけました。点灯しっぱなしです。決して、 転倒したわけではありません。しばらく行くと、カエルの声が一段と大きくなってきました。あっ、いました。いました。3匹です。乱舞しています。ランプではありません。舞っています、舞います。舞います。里田まい、喜多嶋舞。伊藤まい子に、菊池麻衣子。川面を這うように、2匹のホタルが舞っています。そうかとおもうと、高く舞うホタルもいます。ざっと、10匹くらいでしょうか。木の葉についたままのもの、空中を優雅に舞うもの。昨日、草むらで見かけたものなどは、つがっていました。なかなか離れません。僕と○○ちゃんのようです。深いきづなで結ばれあった2人は、さてどうなるのでしょう。(どうにも、ならないよ!!!)川沿いに柵はあるものの、道路も舗装されており、まさにホタルを見るためだけのロードです。虎舞竜(???)の「ロード」ではありません。念の為。三船美佳さんゴメンナサイ。はるか遠くの上流にホタルが舞っています。スタート地点(100m)と書かれた地点から、いよいよホタルの生息域に入ってきました。舞ってます。舞ってます。乱舞しています。す~っと、ちかづいてくるものあれば、離れるものあり。手をかざせば、ほんのその先をとび続けているのです。うす暗いので、よくわかりませんが、川面に張り出している竹のところにも、数匹のホタルが、あちらこちらに止まっている。川面をスレスレに飛ぶホタルたちは、水面(みなも)に反射したヒカリとともに、倍になって点滅を繰り返す。あるいは、高く。またあるいは、低く。自由に飛行するホタルたちが、目の前を行き過ぎる。まったりとした時間の中を、のんびり、ゆっくり飛びつづけている。不思議なことに、ほかに誰も観にきていないこの空間を優雅に舞う様を独占している自分がここにいる。笹の部分に止まっているホタルなぞは、盛んに点滅を繰り返すのは、求愛をしているのだろうか。ひるがえってみるに、人間だけが、不器用に相手を想う。自然な愛情表現もなく、不器用さだけが目立つ。もっと、自然な気持ちを大切に、ほんとうに愛した人に、素直な気持ちで接することができたらば、世の中、こんなにすばらしい事なぞないな・・・・・、と勝手に想ってみても、そんなにうまくいかないのも事実。だからこそ、人は、手練手管で、あるいは、超不器用に、じぶんを表現する。大村(長崎県)に住む女性(ひと)は、どれだけ・・・・・、はるか中国に住む二人の研修・実習生は、いまごろ何を・・・。そして、嫁いだ○○ちゃんは、今ほんとうに幸せなのだろうか・・・。あの時、もっとなにかをできていたら、もっと好きになれていたら、ひょっとして、いまこの隣に、おなじ光景を眼にしているにちがいない・・・。なぞと勝手に想像しながら、今現在、たった一人なのも、これ現実。ホタルのように、はかなく消え行くものを追いつづけて、追い求めて、どこまでも・・・。高村光太郎の詩のように、『僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。』、それは、確実なこと。ホタルのように、はかない光だったものが、やがてはっきりと認識できるまでになった『光の径(こみち)』。おおくのホタルたちに見守られながら、異次元へと旅立っていくことの楽しさ、快感。ひとは、ホタルは亡くなった人たちの化身だという。多くの死に、興味を持ち、かれらの死に様を一番に知りたいと貪欲に想いつづけてきた。今ここを舞うホタルたちが、その回答だとしたら、彼らが愛した自然・ふるさとを本当に残していきつづけることが重要だ。いちばんのやすらぎの為にも。ほんの数十分の散歩道も、過去へも、そして未来へも通ずる『どこでもDoor』かも知れない。それは、だれの心の中にもあり、そして誰でもが見つけられるとは限らない。ちょうど、恋愛と同じように、すぐそばにいる人に気づかないように・・・、あるいは、数千里を翔けて、追い求めていくように・・・。ホタルは、それでも静かに舞いつづけていた。いつまでも、どこまでも、果てしなく・・・・・。。。(おしまい)