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カテゴリ:舞台
国立劇場小劇場に文楽を見に行きました。出し物は「義経千本桜」より 「堀川御所の段」「伏見稲荷の段」「渡海屋・大物浦の段」
「義経千本桜」は文楽や歌舞伎の通しやみどり(「よりどりみどり」の「みどり」だそうで、お芝居の一部だけ上演すること)で何度か見ているのですが、忘れたり他の演目とこんがらかったりしています。 「堀川御所の段」では、兄頼朝とぎくしゃくしはじめた義経に迷惑をかけまいと平家の血筋の北の方(正妻)卿の君が自害したというのに、力は強いがおっちょこちょいな弁慶が余計なことをして和解を不可能にしてしまいます。手弱女だと思っていた静御前が勇ましくなぎなたを持って出てゆくところなんてあったのですね。記憶にありませんでした。弁慶が敵の首をひっこぬいて投げ上げて落ち延びる方角を決めるなんて、乱暴ですねえ。 「伏見稲荷」では、足手まといになるからと静御前が置き去りにされます。義経が大切にしていた鼓だけを形見にと渡され。その鼓の革はきつねの皮でした。静御前は敵方に捕まりそうになったとき、佐藤忠信に助けられるのですが… きつねの遣いかたが、歌舞伎よりやはり上手です。歌舞伎役者さんも文楽の指導を受けるということですが、キャリアが違いますものね。 水運業を営む「渡海屋」の主人銀平は実は平の知盛であり、女の子として育てられているのは実は安徳天皇、妻おりうは乳母典侍の局なのです。今回気がついたのは、知盛の意外なせりふです。義経一行を追跡するための船を貸せとごり押ししておりうに乱暴なふるまいをした侍に向かって、「刀は人を斬るものでなく身を守り乱暴狼藉をやめさせるためのもの。だから武士の武は戈(ホコ)を止めると書くのだ」という内容のことを言うのです。 典侍の局が安徳天皇を抱いて入水しようとしたとき、義経一行が止め、局は天皇を義経に任せて自刃、知盛もいかりを重しに丘の上から入水します。歌舞伎だと後ろ向きに丘の後ろへ落ちるところが見せ場です。人形は逆さにずるずるとひっぱられて落ちていきます。玉男さんの知盛が思い出されます。本当に碇に引っ張られてずり落ちていく感じがしました。今回は研究の余地ありと思います。いつも12月は若手中心ですが、今回は特に時の流れを感じました。 余談ですが、義経千本桜の「道行は初音の旅」のCDを片付けものをするときにかけると気分良くできます。 太棹三味線を聴くと日本人の血が騒ぐ、などと言いそうになりますが、日本人でなくても、文楽にはまっている人っているんですよね。外国公演も人気があるそうですし。世界文化遺産にもなりました。歌舞伎、文楽や日本の文様、浮世絵など好きですが、それは伝統だから好きにならなくてはいけないからではありません。楽しいから、すてきだから、心を弾ませるようなものがあるから好きなのです。強制されたら興ざめしてしまうでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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