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カテゴリ:本
宝塚歌劇団・轟悠さん(今東京の日本青年館で公演中)の演じるキーンを見て、サルトルの原作との違いに興味が湧いてサルトルの原作(翻訳ですが)を読んでみました。日生劇場での公演の『キーン』は通常の宝塚の枠を超えているように思いましたので、どの程度変えてあるのか比べてみたかったのです。読んでみますと、台詞なども含めかなり原作に忠実でした。ただ、原作では、皇太子を侮辱したキーンは、皇太子が父に嘆願して禁固刑の替わりに1年間国外追放になり、ファンで女優志願の裕福なチーズ商人の娘と一緒にアメリカに向かうのですが、宝塚版では、皇太子が舞台上で謝罪すれば許すと言い、キーンが舞台上であれこれ台詞を言ううちに、舞台こそが自分を創っているのだと気付く、と、轟さんの舞台に対する決意と重なるように書き換えられています。
この作品は、最初アレクサンドル・デュマがキーンをモデルにした戯曲(「キーンもしくは天才と狂気」1836年パリ・ヴェリエテ座初演)を書き、のちに、サルトルがお気に入りの俳優ブラッスールのために、登場人物が多く現代人から見るとごたごたしていたアレクサンドル・デュマ作品をキーンひとりにスポットライトをあてて現代化したものだそうです。翻訳者はキーン俳優さえ見つかれば日本でも上演が可能ではないか、とあとがきに書いています。そのキーンを演じた轟さん、実に鬼気迫る演技でした。近日中に行くコンサートも楽しみです。 「天才と狂気 ―キーン―」 サルトル著 鈴木力衛訳 人文書院 エドモンド・キーンは実在の人物で、シェークスピア俳優として人気を博した人です。あとがきに寄ると、1787年ロンドン生まれ。父アーロンは芝居の道具方。母は旅回りの役者母方の祖父ヘンリィ・ケァリィはイギリス国歌の作曲家。4歳でオペラ・ハウスのキューピッド役で初舞台。10歳でキャビンボーイとして船に乗り込んだが長続きせず、パントマイムをやっていた叔父の手引きで演劇の世界にはいり、宮廷に出入りするようになり、貴族のパトロンがつきました。イートンカレッジに入学。1807年主演女優チェンバーズ嬢と結婚。その数年後スランプに陥り発狂の危機に追い込まれるも、1814年チェンバーズ劇場破産の危機にシャイロック役で観客を熱狂させ、その後次々卓越した演技を見せました。 妖精のような甘い声(どんな声でしょうね?!)で観客のみならず共演者をもうっとりさせたそうです。十数年してマンネリズムに陥り、生活がすさみ、妻と離別、言動は狂気じみ、1833年オセロー上演中にイヤゴウに扮した息子の腕の中に倒れて約50日後に息を引き取ったということです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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