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カテゴリ:お散歩 京都
さぁちゅんです~♪
大河ドラマ「八重の桜」いよいよ後半に入りましたね。 舞台は京都に移り、ベストパートナー新島襄と出会い結婚。 2月に同志社の創設者 新島襄と八重の夫妻が暮らした「新島旧邸」を見学してきました。 再度UPしておこうと思います。 まずはこちらから→ 京都(市)情報ランキング ←クリック 「新島旧邸」は、京都御所東側の寺町通に、当時の面影のまま、大切に保存されています。 バルコニーを備えた白と茶のモダンな洋風の建物です。 アメリカ人宣教師の助言を受けながら、日本の大工の手によって、明治11年に建設されました。 広いバルコニー。 応接間。 応接間を学校の職員室や会議室、事務室、教会の集会室など、多目的に使えるスペースとして開放していました。 椅子やテーブル、ソファなどの洋風家具が数多く置かれています。 家具類はすべて新島夫妻が生活していた当時のもので、建物とともに文化財に指定されています。 「セントラルヒーティング」で、暖炉に火を入れるだけで家全体を暖めることができるようになっています。 ダクトが他の部屋や二階へも延びていて、暖炉の中の暖かい空気がダクトから各部屋へ分配される仕組みになっています。 ダイニングルーム。 左の壁側にある棚は台所直結の配膳棚になっています。 新島家の食卓には、和食よりも洋食の方が出されることが多かったそうです。 八重は宣教師の夫人たちから西洋料理や洋菓子のレシピを教わり、自ら腕を振るっていました。 何でもできる器用な人だったのですね。 東南角の日当たりの良い部屋が新島襄の書斎です。 生前使用した机や椅子がそのまま配置され、当時の姿がそのまま再現されています。 壁一面の書棚には洋書類がびっしり並んでいました。(写真でした) 茶室「寂中庵」。 もともとは洋間だったものを改装して茶室が作られています。 結婚14年、夫の新島襄は心臓病のため46歳の若さで亡くなってしまいます。 夫の死後、茶道を始めた八重は、女性としては茶道の最高位にまでなりました。 女学校の生徒などを相手に、自宅で茶道教室を行ったり、しばしば客を招いて茶会も開いていました。 当時、八重ものぞいたであろう廊下にかけられた鏡。 トイレも見どころです。 洋式のトイレとしても、和式トイレとしても使える、当時の大工さんの工夫の産物となっています。 お風呂。 お風呂はものすごく古めかしくて意外でした。 外国にはつかるタイプのお風呂があまりないので、外国風にアレンジする点がなかったのかもしれませんね。 台所。 民家では土間が一般的だったところを板張りにし、かまどと洗い場、井戸を一か所に集めています。 まるで現代のシステムキッチンそのものです。 八重はこの台所で、「ビフテキ」や「オムレツ」「ロールキャベツ」といった西洋料理を作って、お客や学生たちにふるまったそうです。 2階部分は非公開になっています。 寝室には高さの違う2つのベッドが置かれています。 夫の新島襄は、洋風の暮らしに慣れない八重のために、背の低いベッドを用意したのだそうです。 左端の個所がもともとの玄関です。 寺町通りに面した武家風の門構え。 見学にはインターネットによる予約が必要ですが、無料です。 当時の暮らしをそのまま体感できることができ、とってもおすすめです。 ぜひ行ってみてください。 インターネット予約はこちらから↓ 「新島旧邸見学予約申込」http://kyutei.doshisha.ac.jp/reserve/index.html 特設サイト「新島八重と同志社」http://www.doshisha.ac.jp/yae/index.html なにとぞ、クリックお願いいたします~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年09月08日 22時54分26秒
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