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「プラハの春」のチェコを舞台にした恋愛小説(映画も話題になったと思います)
知人から薦められて読んだ久しぶりの長編小説(恋愛小説) 「三角関係」などという陳腐な説明は必要ないと思います。 ニーチェ「永劫回帰」から始まったり スカトロジーから欧州の宗教、共産主義体制を論じたり・・・ 難しいところもありますが(自分もきちんと理解して読み進めたとは言えないと思います)、話のおおまかな筋自体はありがちといえばありがち。 ですが、恋愛とは?人生とは?とてもよく書けていて、本の世界に引き込まれました。 前半は、主人公のダメ男ぶりが身につまされる・・・(自分の恋愛によほど自信満々な男以外はそう思うのでは?) 話の中心のカップル以外の人物が出てきて、中盤は少し洒落た文章で読みやすくなります。 連れ添ってきた犬が死ぬシーンも、ありきたりのお涙頂戴にならず主人公のカップルをよく表現する場面になっています(自分が良質のスポーツ物に出会えば条件反射するように、犬好きの人には涙腺を刺激されてしまうのかもしれませんが・・) 終わり方も後味すっきりとはとても言えませんが、救いようがない形ではなかったので正直に言ってホッとしました。 男性が年齢を重ねるということの一つのイメージがきちんと(捉え方によっては寂しく?)書かれていて、思い出したのがモーパッサンの短編「幸福」 あの場面であれ以外の選択もあったのでは?しかし、それがよりよい選択かどうかは絶対に分からない。 「人間のというものは、ただ一度の人生を送るもので、それ以前のいくつもの人生と比べることもできなければ、それ以降の人生を訂正するわけにもいかないから、何を望んだらいいのかけっして知りえないのである」 「人間はただ一つの人生を生きるのであるから、仮説を実験で確かめるいかなる可能性も持たず、従って自分の感情に従うべきか否かを知ることがないのである」 「裏切りとは隊列を離れて、未知へと進むことである。サビナ(登場人物)は未知へと進むこと以外により美しいことを知らなかったのである」 「答えのない問いというものは柵であって、その柵の向うへは進むことが不可能なのである。別ないい方をすれば、まさに答えのない問いによって人間の可能性は制限されていて、人間存在の境界が描かれているのである」 「人間をカテゴリーに分類することがそもそも可能であるならば、あれかこれかの全生涯の活動に彼らを方向づける深い願いによってである。フランス人は一人一人違っている。しかし、世界の俳優という俳優は、パリでも、プラハでも、もっとも場末の劇場でさえ、お互いに似ている。俳優とは子供の時から名前のない観客に、生涯を通じて自らを見せることに同意している人である。この基本的な同意は、才能とはなんの関係もなく、才能より深いものなので、それなしでは俳優として立つことはできない」 ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」より 本日の練習 2時間50km コルナゴCT1 多摩川自転車道でイージーライド(今日も富士山がきれい!) 「ブルタバ川を見たいと思った。川岸に立って、長い間川の波を見たいと思った。というのも流れていく水を見ることは心を落ち着かせ、いやすからである。川は何世紀にもわたって流れ、人間の出来事は川岸でくりひろげられている。出来事は明日は忘れ去られるようにくりひろげられ、川は先へと流れていく」 これも「存在の耐えられない軽さ」より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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