ひと塾リベラダイアリー

2008/02/27(水)13:29

自分で考える

学ぶ(11)

  自分で考える  日本人のオリジナリティーのなさは、昔から定評がある。そして、悔しいけれど諸外国を見渡すと、やはり認めざるを得ない気がする。  英語のeducateはもともと、学ぶ者のうちにある良いものを引き出す、という意味なのだという。でも、明治時代にそれに「教育」という訳語をつけてしまったところに、そもそもの間違いがあったのかも知れない。高見に立って、権威ある者が、無知な者に教え込む・・そんな出発点でのボタンの掛け違いを感じる。 江戸末期には、様々な分野で、自由で自発的な学びの流れがあったのだけれど、明治にはいると共に、上から管理され、教えられる・・という、堅い、教え込みの教育が定着してしまった。 国の決めたカリキュラムを、教える。教わる方は、その中身をそのまま素直に(無批判に)ひたすら覚え込むことが、学校の教育の中心的なありようになってしまった。 戦中を知るある先生が 「今の管理的な教育は、戦争中よりも自由がない」 といっておられるのを聞いたことがある。 そうかも知れない。戦後の管理主義教育は、教育から人間性を奪ってしまった気がするのだ。こども達も、教師達もどちらも管理の対象となり、本来の人間らしい扱いを受けていない。人間が、学ぶこと動物の調教は違うのだけれど、いつもまにか、日本の学校教育は 動物の調教に近いものになったしまった。教育の根幹になる、人間の中の、良き部分を信頼し、自分の力で成長してゆくのを、見守り サポートする・・本来のeducateを取り戻したいのだけれど。 イギリスの、ケンブリッジ大学の入学試験で最終的に最も重視されるのは、現時点での知識の量ではなく、その生徒の持つオリジナリティーなのだという。オックスフォード大学でもその点は同じだという。いくら細切れの知識を沢山持っていても、自分の力で考える、オリジナリティーを持っていなければ、大学に入っても力を伸ばすことは出来ない・・という考えによるらしい。 もう一つ、オリジナリティーの重要性についてのもう一つの例。 「ガンは自分で治せる」というユニークな免疫学で、ガン好発世代を強力に励ましている、免疫学の世界的権威、新潟大学の安保徹教授は、独自性のある研究をするためには、なるべく人の論文を読まないのだという。ご自身がそうであるだけでなく、学生にも、人の論文を読むよりは、自分自身のオリジナルな研究に集中するように・・と指導されるのだという。 先人に学ぶことはすばらしいことだけれど、最終的には、自分の頭で考え、自分の言葉で語ることをしないと、何時までも、猿まねの域を脱しられないのでは・・。

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